おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

葬儀屋は幽霊を見ますか

「お葬式をしていない時の葬儀会館は不気味ですよね。やっぱり幽霊とか出るのですか」


(又、その質問か) と心の中でつぶやきます。


会館見学をするお客様は、身近に葬儀が迫った方が大部分ですが、なかには興味本位の見学者も来られます。後者の方がよくする質問が、上記です。たしかに死体が毎日運び込まれる場所ですから、どうしても気味が悪いと感じ、それが幽霊に結びつけられるようです。


幽霊の概念は日本だけでなく中国、西洋、と全世界に広く信じられています。また陸地だけでなく世界の海にもいると言われます。この世に思いを残したまま死んでしまった方や、相手を恨んで復讐や執着で出現すると言われています。それならば、その望みや思いを真摯に聴いて、執着を解消し、安心させてやれば、姿を消すはずです。
仏教ではこういった状態になった幽霊を「成仏した」と称します。


お葬式という儀式が考え出された大きな理由に、死人が幽霊になるのを防ぎ、成仏してほしいという、残された人々の願いがあると思います。


毎日、死んだばかりの人が集まる場所ですから、なかには成仏出来ないでさまよう魂がいるかもしれません。何かが、いるかもしれないと感じたことは、何回かあります。


お通夜式が終わり、参列者がすべて帰宅し、照明を落とした会場に、ポツンと棺桶が置かれています。エアコンのスイッチも切ってあります。会場のドアはすべて閉まっています。 深夜、起きているのは、お線香守りの私だけです。


なぜか、ローソクの炎が急に揺らめくのです。
なぜか、香炉から立ち上る、線香の一筋の煙が、急に祭壇のほうに流れていくのです。
なぜか、しっかり置いたはずの遺影写真の額が、カタンと音をたててしまうのです。
なぜか、祭壇に飾った生花の菊の一輪だけが、急にしおれてうな垂れてしまうのです。
もしかしたら何かが、ここにいるのかもしれないと想像します。
しかし見えないのです。


こんな時、私は嬉しくなります。「ありがとう」と伝えに来ていると思えるのです。
深夜、眠い目をこすりながら、病院へお迎えに行き、体中を綺麗にして、旅立ちの衣装に着替えさせて、お顔を整え、参列者全員から、見てもらえるようにして、棺桶に入ってもらいます。その後、葬儀、火葬、骨上げ、と奮闘しますから、どう考えても恨まれる根拠はありません。


見えるなら会ってみたいと思うことはありますが、見える能力を持った人間は、葬儀屋にはならないでしょう。


ところで冒頭の質問の答えは、いつも決まっています。


「ここでお葬式をした仏様は、すべて成仏しておりますので、幽霊にはなれません」

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