霊柩車運転手の旅立ちに
闘病生活の末に亡くなった故人は人生の半分以上「霊柩車の運転手」をしていました。弊社でも自社の霊柩車が出払った場合、急遽お願いをして、ずいぶん助けられました。奥様は火葬場の職員でしたので、我々スタッフの間では火葬場に行った際に奥様から「病気で先行きが短い」と聞いていたそうです。仕事の関係もあり、故人と奥様のお二人にお会いする事も多く、随分お世話になった人の旅立ちでした。
霊柩車は故人のご遺体が納められた棺を葬儀会場から火葬場まで運ぶために使用される車両です。出棺の際に会葬した参列客は合掌と黙祷をして故人を見送ります。 出発時にクラクションが長々と鳴らされます。故人の鳴らし方には独特の特徴がありました。旅立つ人の叫び声にも聞こえる最後のフォーンには、故人があの世に出発にあたり、道中の邪を払うという意味があります。同時に長々とクラクションを鳴らして車両が見えていない方にも出棺を知らせることができます。
故人が運転席に座った霊柩車の時代は、後ろ部分がお祭りのお神輿のような飾りがついた宮型霊柩車の時代でした。かつては霊柩車の中でも70%以上の割合を占めていた宮型でした。全国で1,000台以上が走っていましたが現在一切見なくなりました。代わったのが、見た目が普通車と変わらない装飾を行わないシンプルな洋型車霊柩車です。宮型が廃れた背景には火葬場を巡る問題がありました。火葬場を新設する際に自治体が周辺住民に配慮して宮型を出入り禁止にするケースが増えたのです。又、長引く不況でレンタル費の高い宮型は出動回数が減りメンテナンス費用も高額なり葬儀屋が維持するのが難しくなります。さらには宮部分を製作する宮大工が減り作り手や改修を行う人材の確保が難しいことも理由です。歩行者保護を目的に設けられた「外部突起物」という厳しい法規制をクリアするのが容易でなくなったという事情もありました。宗教の多様化で仏式ではないお葬式も増えてきて、仏式と神式以外にも対応できる「万能型」の洋式霊柩車に全て取り替わりました。
故人の口癖は「旅立つ人を送るこの車は途中でなるべく停車させないように運転するよう気を付けている。赤信号に引っかからないように気をつけますし、対向車のすれ違いも極力さけます。沿道の人や前から来る車が手を合わせ止まってくれる、この車の運転は極力気を遣うのです。俺が死んだ時はこの車で送って欲しい」
担当者がポツリと呟きました「是非とも宮型で送ってあげたい」そこからスタッフ全員が電話に跳びつきました。数十件の電話の後、隣の県の老舗葬儀屋の倉庫に宮型が残っているのがわかりました。いきさつを話すと「バッテリー交換とオイル交換、そしてガソリン満タンで貸しだすよ」との事。頼れる同業の仲間でした。
お葬式は日頃お世話になっている火葬場に併設した式場で行いました。お通夜と告別式には最期のお別れに100人を超える会葬者がみえました。火葬場に併設した式場だったので、本来は出棺の際に霊柩車は必要なかったのですが『霊柩車の運転手』の遺言もあり、少し早く出棺して自宅のまわりや思い出の場所、仕事で良く使っていた道など回ってみました。運転席からは沿道の皆様がビックリしたようなお顔で手を合わせているのが見えました。
火葬場職員さんも呟きました。「おや、珍しいな、やはり宮型はいいな、仏様も最後のドライブを楽しんだろうな」