おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

戒名は無駄と思いますか

お寺離れが進んでいます。日本人がお寺のお坊様に対していだく、ありがたい気持ちや、安心する要素が無くなってきているように感じます。多くの皆様の納得がいかない理由の一番が、お布施と高価な戒名料です。そもそも戒名とは何のために必要なのでしょうか?


簡単に言うと、戒名とは仏教の修行を終えた人につける呼び名です。亡くなった人にお坊様が戒名をつけるのは、この亡骸の人は仏教を勉強して戒めを受け仏門に出家しましたとの証明なのです。仏教では死んだ人間は、次の世界へ旅立つという教えをします。その中の極楽と言う仏の世界には仏門で修行を学んだ人しか入れません。そこで戒名と言う体裁をしっかりと整えることで極楽に往生できる、いわばパスポートを授けるのです。


ここで矛盾が出ます。仏教の教えは、死んだ亡者は人間界での生き方の結果として輪廻転生をして6種の世界に生まれ変わると教えています。天道(てんどう)、人間道(にんげんどう)、修羅道(しゅらどう)、畜生道(ちくしょうどう)、餓鬼道(がきどう)、地獄道(じごくどう)です。天道だけが極楽と呼ぶ世界です。人間が住む世界の人間道や、戦いと苦しみと怒りが絶えない世界の修羅道や、鳥獣虫などに生まれ変わる畜生道や、腹が膨れた姿の鬼になる餓鬼道や、地獄道に行くのでしたら、せっかくの戒名は無駄になるのです。お坊様は「極楽の世界以外に迷って行かないよう、戒名が必要です」と言って、必要性を解きます。


御経を記した経典では極楽の世界は、皆平等だとも書いてあります。ですが、戒名には位と呼ぶランクがあります。戒名は「院号」「道号」「戒名」「位号」の4つで構成されています。ご存じのようにこの位は、お布施の金額で決まります。皆、平等の極楽の世界でなぜ異なる階級が必要なのでしょうか。これも、お坊様は「立派な戒名をつけることで、早くお釈迦様になれるから」と言って、必要性を解きます。


「戒名をつけないと、極楽での名前が無くなり、死後に会いたい人がいても、名前が無いので見つけることが出来ないから」と言い切ったお坊様がいました。皆様は、仏壇に入っているご先祖様の戒名を覚えていますか。亡くなった両親の戒名を、スラスラと見ずに言えると言う人はどのくらいおられるのでしょうか。覚えておかないと再会できません。


三大宗教のうち、キリスト教とイスラム教では生きているうちに洗礼名をつけます。死後に宗教的な名前をつけるのは仏教だけです。日本独自の宗教である神道は故人に諡(おくりな)をつけますが、戒名とは付け方のルールが異なりランクもありません。仏教徒の日本人だけが、死んだ後で自分は知らない名前に高価なお金を払っているのです。


同じ仏教なのに戒名の呼び方も日蓮宗では「法号」と言い、浄土真宗では「法名」なり、宗派によって呼び名や付け方に違いがあります。お墓や塔婆にも書かれる名前が、たった3字よりも6字から11字の漢字の構成が、ステータスが高いと言う金持自慢もあります。


戒名を授けてもらわないと菩提寺のお墓や納骨堂に入れない可能性はあります。しかし、俗名でも問題ない霊園や納骨堂の方が大部分です。


ここまで読むと、お寺とのお付き合いを大事にする葬儀屋の立場でも、戒名とはお寺の収入を確保するためにあるものらしいと考えてしまいます。戒名料は、良く言えば「送り出す家族の安心料」ですし、悪く言えば「お坊様の賃金」なのです。

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