おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

娘を殺しましたと言う父

「娘を殺しました」お迎えに伺った病院のベッドの脇にたたずむ憔悴した男性の言葉です。一瞬耳を疑いました。「まさか殺人」と頭の隅によぎりましたが、看護師さんが渡してくれた死亡診断書を確認して、父親の言葉を理解しました。死因は「悪性新生物からの多臓器不全」そして、その他の欄に「ターミナルセデーション処置」と記入されていました。


医療の場で使う「ターミナルセデーション」という呼称はご存じでしょうか?セデーション(鎮静)とは鎮静剤を投与して意識を下げる医療行為です。苦痛緩和を目的としたセデーションは一般的に行われている医療です。しかしターミナルセデーションとは、終末期の耐えがたい苦痛を緩和し、その結果、二度と目覚めない死を迎えさせることなのです。


それって「安楽死」だと皆様思われたと思います。しかし日本では安楽死は法律で認められません。今年2月のブログの「死に方」でも取り上げています。安楽死を実行した医師は殺人罪で起訴されます。ですからこの終末期の苦痛緩和を目的にしたセデーションは、その実施の方法を誤れば重大な倫理的問題を引き起こしかねません。2005年1月に日本緩和医療学会理事会によって、ようやく日本で終末期の苦痛緩和を目的としたセデーションを適切に実施する基盤が整いました。安楽死との大きな違いは、死を目的とするものではなく、苦痛緩和を目的とする医療行為であると承認されたのです。


この医療行為を行うには、終末期の患者が耐えがたい身体的苦痛を体験していて、その苦痛が他の緩和治療では解消できない場合に、その苦痛を感じない状態におくことを目的とします。対象患者は癌(悪性新生物)の進行で死が差し迫った状態にある患者です。そして大事な事は、まず患者本人がセデーションを希望している事。そして家族も同意して納得している事。付け加えて担当医以外の医療チームも同意している事で決定されます。医療者は患者の生命予後を評価して、確実に死期が迫っていることを確認することも必要です。


ベッドの上のお嬢様のお顔は安らかでした。乳がんが発見されたときは、もう肺を始めとする他の臓器に転移が見とめられ、手術は不可能でした。入院後は連日強くなる痛みに眠れない日々が続いたそうです。実は、母親も同じ乳がんで早くに亡くなっていました。娘を看取った父は、愛する妻も看取っていました。妻の最期は、耐えがたい苦痛でベッドの上で七転八倒の挙句の死去だったそうです。娘にはあんな最後は迎えさせたくないと入院初期から担当医に相談していたと話してくれました。娘さんも覚悟していて「いざと言うときは苦しませないでね」と言いつづけたそうです。


終末期の癌の痛みは、他人には理解できないほど苦しいそうです。日々強くなる耐えがたい痛みに、娘も父も「もう楽にして」と担当医に頼みました。しかし病院側は「まだ腫瘍と戦える体力があります」とためらったそうです。父親は「病院がしてくれないなら、俺が死なせる」と言い切ったことで、病院もやっと動きました。


娘さんの腕の点滴の中に鎮静剤が入れられるときに「お父さん、ごめんね、ありがとう」と言ってくれたそうです。多量の鎮静剤の投了が始まると同時に、水分補給と栄養剤の点滴が外されました。3日後に静かに息が止まったそうです。


覚悟していた流れでしたが、それでも、父親の感情には「俺が殺した」と悔いが残っているように感じました。
火葬炉の扉が閉まる時に、父親がつぶやきました。「許してくれ」

×

非ログインユーザーとして返信する