挨拶は阿弥陀籤で決める
高齢で施設暮らしの長かったお婆ちゃんには息子が4人いました。全員が独立して家庭を持ち、社会的地位もしっかり確立しています。当然、親戚関係も広がりますから、家族と親戚だけで行うお葬式も、結構大人数が集まることになりました。
長男が一応形ばかりの喪主をすることになりましたが、参列者を前にして挨拶をする、亡き母の近況報告と御礼挨拶を誰がするかで、兄弟間でひと悶着が起きました。
「当然、喪主をした長男がするのが常識だろう」
「俺は、お前らが知っているように、うつ病で大人数の前では吃音が出て言葉が出てこない。お前ら3人の中の1人がやってくれ」
「次男のお前が一番近くに住んでいてお袋の見舞いも行っていたからお前がやれ」
「みんなが行かないから、忙しい中、やむなく見に行っていただけだ。これまで充分お袋には関わったから、もう挨拶までは勘弁してくれ」
「三男のお前は海外生活が長くて親戚にご無沙汰だから、罪滅ぼしでお前がやれ」
「親戚の顔さえ判らないのでお前誰だと言われかねないから勘弁してよ」
「四男のお前はマスコミ関係で人前でしゃべるのが旨いからお前が適任だ」
「勘弁してよ。仕事柄で挨拶が出来ても、末っ子が出てくる場面では無いでしょう」
それぞれ言い分があり「それでは阿弥陀籤(あみだくじ)で決めよう」となりました。阿弥陀籤とは線の端に当たりを書いて隠し各自が引き当てるくじです。縦線の間に横線を入れ、はしご状にして名前を書き、線を辿ると全員が別のゴールに行き着きます。ゲーム性で盛り上がり、かつ平等で簡単な、最もポピュラーなくじです。
このくじが考え出された当初は線が放射状に引かれていました。円の中心に当たりの金額が記されており、その金銭を当てるくじだったのです。阿弥陀如来の仏像の後ろには放射状に伸びる線が付いています。これは光背(こうはい)と呼ばれ、仏の威徳を象徴するものです。「後光が差す」という光を放射の線で具現化したものです。阿弥陀籤の名前の由来は、阿弥陀如来の後光の形のくじからつけられたのです。
「学生時代から、お袋とは話さなくなった。顔出すと何か言われそうで避けていた」
「結婚してからは、ワイフの前でお袋に会いに行こうとは言い出しにくかった」
「一人で優雅に過ごしているなら、わざわざ家族で押しかけて行くこともない」
「俺たち、施設の金は出したけど忙しさを理由に会いに行かなかったな、お袋の近況報告など、何も知らない俺達にはどう考えても出来ないよな」
4人の息子達が、お互いに挨拶を避けようとした理由が見えてきました。兄弟が一堂に会するのは本当に久しぶりでした。亡くなった母親にも随分ご無沙汰をしていました。母のお葬式でやっと親子の縁を気付かされたのです。
さて皆さん、最終的に喪主挨拶は誰が行なったのでしょうか?