おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

娘から母へ、真紅の花を

母の日のルーツは、アメリカの女性が亡き母を追悼するため、教会でカーネーション
を配ったのが始まりのようです。日本では最初は3月6日を「母の日」としました。
昭和6年に結成された大日本連合婦人会が当時の皇后(香淳皇后)の誕生日の日を
母の日にしたのです。


享年40歳 仏様は若い母親でした。
立礼で、喪主のご主人の脇に、小学校4年生の娘さんが並びました。


前日納棺に伺うと、仏様の枕元に真っ赤なカーネーションの花束が置いてあります。
大きな花束でした。カーネーションはまだ市中に出回る時期ではないので高価です。


 「綺麗なカーネーションですね」 


と、静かに尋ねました。
 
 「去年の夏の終わりに、全身の癌が見つかり、余命3ヶ月を宣告されました。
  クリスマスまで頑張ろう、お正月まで頑張ろう、節分まで頑張ろう、ひな祭りまで
  頑張ろう、と本人は闘ってきました。
  今度は母の日まで頑張ると言っていましたが、力が尽きてしまいました。
  この花束は、娘が買ってきました。貯めたお年玉で買ってきたようです。
  母の日に間に合ったよと、伝えたかったのでしょう」


 「明日、お棺に入れてあげましょう」


お別れの時間です。棺の蓋を開けた私は、花束をほどき、お花の部分を黒盆に載せ、
喪主様とお嬢様に差し出しました。


抑えた音楽が流れる中、お二人は、真っ赤なカーネーションを、一つ一つ
お顔の周りに置いていきます。


泣き声はありませんでした。ですが、お二人の目からは、カーネーションの上に、
ポタポタと涙が落ちています。
父と娘の手は、お互い、きつく握られていました。


その後、御親族が、祭壇のお花で棺をいっぱいにして蓋が閉じられます。


火葬後、お骨上げ、法要と済み、喪家様をお見送りの時間です。


父親の前を、胸にしっかりと骨箱を抱き、車に向かって歩く、気丈な娘さんを
見送りながら、
      ……頑張ってください……


と、心の中で叫んでいる、私がいました。

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