なぜ死者をホトケと呼ぶ
私が葬儀業界に入社して初めて手にした司会者マニュアルに「亡くなった方をホトケさまと呼ぶこと」と書いてありました。お葬式以外でも、この「仏さま」と呼ぶ呼称が多く使われます。時代劇では「同心の檀那、川にホトケさんがあがりましたぜ」のセリフを聞き、テレビドラマの相棒でも右京さんが「ホトケさまはこちらですか」と殺人現場に出向きます。どうやら「死体イコールホトケ」なのです。ですが、そもそもの仏(ほとけ)の意味を事典で調べても死体を表すとは書いていません。
死体をホトケと呼ぶ理由に民俗学者の柳田国男さんは「死者を無差別に皆ホトケというようになったのは、本来はホトキという器物に食饌を入れて亡くなった人を祀ることからきている」と教えています。 つまり死者にお供えする器の名前の「ホトキ」が変化して「ホトケ」が死体を表すようになったようです。
我々の会話でも「お盆にはホトケさまが帰ります」「ホトケさまにお線香をあげます」等が日常的に使われます。この意味は「亡くなった方は全員ホトケさま」なのです。ですが、これも本来の仏教の仏(ほとけ)の意味とは少し違うように感じます。
佛教用語では「仏」とは「死んだ人」を指す言葉ではなく「仏」という「さとり」の名前であると解いています。一口に「さとり」といっても、仏教では52の段階があります。52の段階がある中で「最高のさとりの位」を「仏覚」(仏のさとり)といいます。高いさとりを開くほど「真理」は明らかになり「仏覚」まで到達すればすべての真理を体得でき、その方を「ホトケさま」と呼ぶと教えています。そして今日まで仏のさとりを開かれたのは、ただお一人「お釈迦さま」だけなのです。
仏の本来の意味を知ると、亡くなった人をホトケさまと呼ぶのは、おかしいと感じます。「仏イコール亡くなった人」となると「仏教」は「死んだ人の教え」になります。
それではなぜ亡くなった方を「ホトケさま」と表現するようになったのでしょうか。その背景には「人は死ぬとどうなるのか」という問題に繋がります。仏教の目的は「故人がお釈迦さまの説かれた教えを修行してその後に成仏した霊になること」です。
家族が死ぬのはとても悲しいことです。そして自分の死も恐れます。死を目前にして、もっと生きていたいと望んだり、家族との別れを悲しんだりします。だからこそ、我々の願いは「死んだ後は、あの世で安らかに暮らしていける」ことなのです。
亡くなった人をホトケさまと呼ぶようになったのは、そうした願望の現れからだと思います。ホトケさまと呼ぶことで修行後にお釈迦様の近くに行けて成仏が叶うと考えたのです。死んだ後の安心を得られるのが「ホトケさま」の呼称です。本来の仏教では死んだ人がすべて悟りを得られるという教えはありません。それでもほとんどの日本人は、人は死んだらホトケになって安らかに成仏できると信じるのです。
ホトケさまの呼称に「死者またはその霊」の意味を持たせたのは日本人独自の考えです。お釈迦さまにしかたどり着くことのできない呼称ですが、亡くなった家族を「ホトケさま」と呼ぶことで死後の極楽往生と来世の暮らしが安らかであって欲しいという祈りが込められていると感じます。