おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

空席が目立つ高齢者葬儀

喪主様はホールの大半を占めた空席状況に納得がいかないようでした。「おかしいなあ、もう少し来てくれると思っていたのだが、人の気持ちとはこういうものなのでしょうか?私の尊敬している母の評価と、これまで母が頑張った仕事のお付き合いは、世間の考えとこんなに大きく違うものなのですか?こんな状態では、亡き母を辱めたようで納得がいかない。どうして参列者がこんなに少ないのか解からない」


地元で大きな事業をされている喪主様は、打ち合せの時から沢山の参列者が来るから、お葬式は派手で大きくしてほしいとの希望がありました。「亡くなった父の時は葬儀会館のホールには入りきれないほどの参列者が来ました。入り口から駐車場まで列を作って焼香迄ずいぶん時間がかかりました。会社を経営していて名前が広く知れ渡っていたので大掛かりなお葬式になりました。立派なお葬式の証拠にいまだに命日には供養の品が届きます。今回亡くなった母も現役時代は別会社を経営していました。沢山の会社から多くの信頼を受けていました。地域へのさまざまな貢献から、地元での表彰を何度も受けた人でした。弔問客が溢れかえるお葬式は家族にとって誇らしい気持ちを持つことが出来ます。こんなにしてあげたと思えるのが供養だと思うのです。当然、今回のお葬式もたくさんの人が来てくれて、弔問客でホールが溢れると思います」


打ち合せで「大きなホールでやって欲しい」と言われた喪主様に、最初、私は「参列者は喪主様の思う数よりは少ないかもしれません」と切り出しました。それでも喪主様の意向は変わりませんでした。確かにお葬式は蓋を開けるまでは何名程来るかは未知数です。家族葬で弔問は数人しか来ないと言われていても、ご近所の皆様が次々と焼香に来られるとか、死去迄暮らしていた介護施設のスタッフが、通夜のお寿司を目当てで多数来館したりなどのハプニングも起こります。たくさん来ると言われれば、否定は出来ないので、大ホールにあるだけの椅子を並べました。そして開式を迎えます。


家族と親戚が着席した大ホールです。開式直後は10組程の弔問が続きました。しかし、その後はピタリと止まりました。その後も伸びず、結果、冒頭のように喪主様が首をかしげる結果になってしまったのです。
「おかしい、仕事も頑張ってきたし、社会貢献や人との触れ合いなどを大事にしてきたし、多くの人たちに感謝されて当たり前なのに、参列者が少ないのには納得がいかない。これでは母に恥をかかせてしまったようだ」このままでは喪主様は不信感を持ち続けます。


誤解されないように参列者が少ない理由をお話ししました。
「あくまでも私の推測ですが、お母様はご高齢でした。そしてお仕事から退かれて随分な年月も経ちます。この年齢ですとご友人や共に働いてきたお仲間もご高齢となり、中には先に旅立たれた人も多いと思います。又、お仕事関係の中には病気や闘病中の人もいらっしゃることでしょう。外出が難しくなる年齢でもあるのです。つまり、訃報の知らせを受けて参列したくても出来ない人も多いのです。そして、現在の家族葬全盛の考え方から、会社関係は参列を遠慮される風習も生まれています。会葬の代わりに弔電や供花で弔意を表すのです。今回も沢山の弔電と供花が並びました。決してお母様に対する感謝の気持ちが変わったのではなく、やむなく不参加でしたが、ご自宅で手を合わせて感謝を述べておられると思います」


そして付け加えました。
「精いっぱいのお葬式をあげたことを、お母さまは充分に感謝されています。それだけは、後悔や否定をせずに受け入れてください」納得した喪主様でした。

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