おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

死んだら何所に行くのか

このブログを見つけてくださったムラゴンの皆様に質問します。「亡くなった家族やもし貴方が亡くなったら、何所に行くと思いますか?」先日、面白いアンケートを見つけました。解答結果を見ると「あの世に行く」と答える人が約四割を占めています。これが最も多数の解答になったそうです。ところがお葬式の後で聞くと答えが変わります。日本では家族が亡くなるとほとんどの人が仏教でお葬式をあげます。お坊様を呼んで読経と焼香で故人を送る儀式をします。仏教では、亡くなった人は「極楽浄土に行く」と教えています。お葬式後の解答は「極楽に行く」という答えが約三割を占めるようです。高価なお布施を支払い、訳の分からない御経を我慢しながら聞いたのですから、その代償として「せめて極楽に行って欲しい」と考える人が多いようです。極楽とはどんな所でしょう?


極楽はお坊様が知恵を絞り考え出した素晴らしい世界です。とても過ごしやすい気候で天からは花の雨が降り心地よい音楽が流れてきます。大地は黄金です。周り一面には宝の樹木が生えています。極楽の食事は面倒な準備はしなくても、自然に目の前に七宝の食器が現れて、百味の飲食(ひゃくみのおんじき)が満たされます。ところが実際に食べるのではなく、見て香りをかぐと食べる前にお腹いっぱいになります。すると食事は、手間のかかる片付けはしなくても、ひとりでに消えてしまいます。もう少し知りたい人は過去ブログの21年8月「極楽ガイド」に綴りました。極楽はとても具体的に説明されているのです。


極楽に限らず宗教が説明する死後の世界はとても具体的です。キリスト教の天国も詳細に説明されていますし、他宗教も死後の暮らしの説明はとても具体的です。それに比べて、日本人が良く使う「あの世」という言葉はとても曖昧なのです。あの世という言葉があらわす世界は明確な場所を示していません。日本語のあの世は具体的な場所でなく、その言葉を使う人がイメージする場所なのだと思います。この世とは異なるどこか別の世界でもあり、この世のどこかかもしれません。遠い空の彼方か、果てしない海の向うか、深い山奥の地域か、草場の陰であり、仏壇の中であり、お墓の中かもしれません。もしかしたら千の風になる人もいるでしょう。


家族を亡くすとほとんどの人は、死者の魂はどこかに居ると感じます。ある時は遠い場所にいると感じ、ある時は身近にいると感じるのです。お葬式の後で「極楽にいる」と答えた人も、御経に書いてあるような荘厳な知識を知っている人は少ないのです。「お葬式を仏教であげて、お坊様が引導を渡したから、なんとなく極楽浄土へ行ってくれたのだろう」との感覚の人が多いのでしょう。「極楽」と答えた人も年月を経つと「あの世」に変わるはずです。結果、仏教でお葬式をあげても、宗教から離れたあの世になるのでしょう。


亡くなった人はあの世で幸せに過ごしていると信じることで、残された家族に安らかな心をもたらすのです。この日本人特有の死生観が、亡くなった後も何年も仏壇に手を合わせ、お墓参りに行き、お盆やお彼岸のイベントを大事にする暮らしを作ってきたのでしょう。


もちろん解答の中には「亡くなったらすべて無くなるので、どこにも行けないし暮らせない」との否定的な意見も二割強います。死んだら魂となって別世界に行くという考え方は、実に非科学的です。これから先は、科学的な考え方をする人がますます多くなります。アンケートの結果が「すべて無くなる、どこにも行けない」と答える人が過半数を占める日も近いかもしれません。
それでも魂の世界が幸せに暮らす「あの世」を信じてみたい私です。

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