おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

自殺の葬式が減りません

火葬炉に飲み込まれる棺にそっと声をかけました。「お疲れ様でした」。見送る家族はどなたも泣いていません。それどころか疑問と驚愕と後悔の表情が見て取れます。棺の中の故人はまだ寿命は充分に残っているのに自ら旅立った自殺者です。人はなぜ自殺をするのでしょうか?葬儀の仕事に就いて驚いた事があります。自殺で亡くなる方がとても多くいるのを知った時です。このブログでも自死の旅立ちを多く綴っています。メディアでは自殺を減らすために心のケアとか命の大切さを啓蒙する広報が行われています。しかし残念ながらせっかく減少傾向にあった自殺者数の推移が、コロナ禍以降再び増加に転じています。


火葬手続きのために死亡届を受け取ります。右側の死因が記入されている場所に目を留めます。外因死の「自殺」にチェックがついているのを確認し納得します。打合せの時の家族の様子が、どうも、よそよそしく感じた原因が判明するのです。喪家様との話し合いは、老衰や病死などで亡くなった場合とは、まったく違う対応になります。自殺という通常では理解できない出来事に家族には最初に驚愕が来ます。その後救いの手を差し伸べることが出来なかった自分と周りに怒りがくるのです。葬儀屋と普通に会話をしているように見えるのですが、後で何を話したのか、まったく覚えていないと話す方が多いのです。


念を押されるのが死因を隠すことです。立ち会っていない親族やご近所に固く口止めがされます。これからの家族の将来を考えると故人は普通に亡くなったと思いたいのです。自殺者が出ると家族は感情に大きな影響を受けます。残された人々は自分が見逃した兆候があったのではないかと戸惑ったり、何も言わないで死んだと怒りの感情を起こしたり、汚名を着せられたと悩みます。あるいは社会から見捨てられたと思う人も出てきます。


自殺を考える人は死ぬ決心をする前に生きたい気持ちと死にたい気持ちの間で揺れるようです。残された家族は、そのことを知ると、気がつけなかった自分自身を大いに悔やみます。それでも一度自殺を考える人間はずっと自殺願望が続くそうです。精神疾患を持つ人が自殺をすると言われます。しかし、すべての自殺者が精神病患者ではありません。


自殺に至る原因はひとつか、又は単純な出来事から生じた結果ではないはずです。人を自殺へ追い込む要因は複雑なことが多いのです。ストレスを感じる人生の出来事や、周りから受ける社会的要因も自殺衝動の原因になります。


困難な問題を解決する手段で自殺が選ばれます。楽になりたいとの気持ちから衝動的に選ぶようです。ですが自殺は問題処理の適切な手段ではありません。深刻なうつ状態への対応や、苦しい生活状況の解決に対処する唯一の方法でもありません。


自ら命を断ってしまった人に遺族の悲しみは直ぐには来ません。最初に来る気持ちは、困惑、怒り、そして、自殺を止めることの出来なかった後悔です。ほとんどの家族は「なぜ」と思うようです。遺書を残していない自殺者は多いですし、遺書が残されていても、残された人々は悩み続けます。


自殺する人は、真面目すぎて、几帳面すぎて、そして、優しすぎるのです。これ以上自分が生き続けると、周りに迷惑をかけると考える人が多いようです。他人には理解できない心の葛藤から、最終的な選択をしたのだと思います。でも、何故、死を選ぶのでしょう?

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