おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

余命宣告は当たりません

お葬式の打ち合わせが一段落しました。その後、ご家族と故人の入院中の闘病生活とか、介護施設での晩年のご様子などのお話しになることがあります。話題に出ることが多いのが、お医者から告げられたという「余命宣告」です。余命とは残りの命のことです。言い換えれば、これから先、生きられる日数と時間の通告です。もし貴方の大事な人が余命宣告を受けたとします。この言葉の受け取りは感情に深い衝撃を与えます。宣告以降は絶えず残りの時間をどう過ごせば良いのか?何をすれば良いのか?どのような心構えで過ごせば良いのか?とても悩まれるはずです。


もし貴方が余命宣告を受けたら、当然、その期間までしか生きられないと思い込みます。しかし、余命宣告は、あくまでもお医者様の予想です。又、一人ひとりの個人の判断によるものなので、同じ病状でも余命日時に差がでる場合も多いのです。


お医者様が通達する場合は「もし宣告した余命よりも短い期間で亡くなったときは、的確な治療をしなかったと思われる」と考えます。逆に「宣告した余命より長く生きられたときには、上手な治療をしてくれた」と思える一方「この先生の判断は誤りだ」と家族は感じると考えます。こうした医者自身の考えと、伝える本人や家族の気持ちと、これからの治療の影響力を考えながら、余命宣告をおこなうそうです。


余命を具体的な日時で言うとトラブルもおこります。この頃のお医者様は「余命は一年」と言うかわりに「余命は年単位です」などと言うようになりました。余命が半年とか三ヵ月のときは「月単位です」一ヵ月を切ると「週単位です」などが使われます。どんな名医でもハッキリとした正確な時期はわかりません。ですから、あえて日数をぼかした言い方が多く使われます。


最近では、正確性に欠けたり治療の妨げになったりするため、余命宣告をしない方針のお医者様も増えました。ですが不治の病などの重い病名を告げられると、患者も家族もどうしても「あとどのくらい生きられるか」と余命が気になります。そこで、家族から懇願されたお医者様は、目安としての余命宣告を伝えることもあります。


病状によっては「この病気の平均余命は〇年〇ヵ月です」などとはっきり言われることもあります。多くの人は「その年月で死ぬのだ」と思いますが、そうではありません。この場合に告げられるのは「中央値」と言って、百人の患者さんに治療をした時、死亡までの日数で五十番目に亡くなった人のことです。治療を始めると、早く亡くなる人もいれば長く生き延びる人もいます。亡くなるペースは一定ではないので、生存率や治療期間などデータや症例などの経験値から導き出した数値です。


余命を宣告されると大きなショックを受けます。そして恐怖に襲われます。まずは衝撃を受け止めます。辛い気持ちを封じ込める必要はありません。よく言われるのが「やりたいことリスト」を作ることです。求めているものが明確になると元気が出てきます。病気の心配と死の恐怖に支配されないことが大切です。希望は残してください。気持ちの持ち方によって、病状の経過が変わることもありえます。


こうなるとお医者様が余命宣告をしても、あまり気にしないのが一番だと思えます。くよくよ気にしたって、仏様や神様が決められた寿命が変わるわけではありません。

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