おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

生まれ故郷を見てみたい

納棺に伺った枕元には、色鮮やかな「チャイナドレス」が置いてありました。日本ではパーティードレスとしてチャイナドレスが親しまれています。この服を中華文化の伝統的な民族衣装と考えている方が多くおられます。しかし現在の身体に沿った曲線的なシルエットと、深いスリットが入ったチャイナドレスは20世紀以降に西洋の服の製法を取り入れて作られたデザインなのです。本来の満州族(旗人)の女性が着ていた衣装は、もっとゆったりとしたスタイルと言われています。


「このお婆ちゃんの生まれ故郷は台湾なのです。終活の目標に「機会があれば一度見に行きたい」と願っていたのですが残念ながら叶いませんでした」お孫さんが涙をこぼしながら話してくれました。


台湾は日本から飛行機で3時間、気候が良く風光明媚で料理も美味しくて人気の海外旅行先です。しかしこの国の歴史について知っている日本人は少ないのです。


原住民が住んでいた台湾を1624年にポルトガルが発見してオランダが支配します。1661年、鄭成功(ていせいこう)という中国人が大陸から来てオランダ勢力を追放し台湾を統治します。しかし22年後の1683年には清の国が鄭氏を降伏させ台湾は清の支配下に入ります。約200年間は清の占領でした。1895年に日清戦争に勝利した日本が台湾の統治権を得ました。以降約50年間台湾は日本の支配下になりました。1945年日本が第二次世界大戦に敗北して台湾を放棄します。そして中国本土にあった中華民国の支配下に入ります。当時の中華民国では蒋介石(しょうかいせき)が率いる国民党が代表政権でした。国民党と共産党は中国の支配を巡って対立しました。1949年中華民国(国民党が代表政権)の首都南京が陥落します。共産党のリーダー毛沢東(もうたくとう)は北京を首都にして中華人民共和国の成立を宣言しました。これが今の中国です。内戦に敗れた国民党は大陸にいられなくなり台湾に逃れます。こうして本土に中華人民共和国、台湾に中華民国と2つの中国が存在する現在の状態になりました。日本やアメリカを含む世界の各国は中国と国交を結び、台湾を国家として認めなくなりました。国際的に国家とは認められていない台湾はオリンピックでは「チャイニーズタイペイ」という呼称で参加しています。中国とは別枠ですが国名の台湾を名乗ることは認められていないのです。


日本は占領統治の為に道路,鉄道,上下水道,電気などのインフラ整備をしました。教育にも力を入れ台湾人の識字率は大きく向上しました。この時代に教育を受けた台湾の高齢の方は日本語を話せます。当然、日本人も多数生活していましたが敗戦で乗り込んできた中国軍に追われ、とても苦労して本土へ引き上げてきました。


終活の目標であった「生まれ故郷への旅」が叶わなかったのは太平洋戦争の台湾で生まれ、敗戦後に死ぬ思いで帰国した記憶が、お婆ちゃんの気持ちに、ためらいと逡巡を招いたようです。それでも台湾時代の思い出としてチャイナドレスで着飾った話をする事もあったようです。一つの国の占領と戦争に翻弄された人生がそこにありました。


火葬場でお骨を拾うときにお孫さんが小さなビニール袋を出して砂のようなった遺灰を一握り入れました。「台湾に持って行き、生まれた土地に撒いてあげる」

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