おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

貴方が死ぬ時は一人です

フューネラル

高齢者が入院する看取り病院の看護師さんが話してくれました。「そろそろ危ないと言う患者さんには、気を付けて看護しているのだが、結局、誰も見ていない時に死去するのよ。モニターは着けているけどアラームがなった時にはもう心拍は停止しているのよ。患者さんはまるで、ひとりの時を狙って旅立つように思えるのよ」


ひと昔前の大家族世帯では人が死ぬ時には自宅に家族が集まって死の瞬間を共有する習慣がありました。今はほとんどの人が病院で死ぬようになり死は病院の中に閉じ込められ隠されるようになりました。そのことが死をより怖いものにしました。


仏教の一遍上人語録に「生ぜしもひとりなり、死するも独りなり」という文言があります。生まれる時も一人、死ぬ時も一人であるという意味です。また作家の瀬戸内寂聴氏も「人は一人で生まれ、一人で死ぬと」と述べています。


「死ぬ時は一人だ」という言葉は、人が生まれてから死ぬまで誰かと一緒にいるように見えても、結局最終的には一人だけで死を迎えなければならないという現実を表しています。この言い方は孤独や死の必然性を強調する際に用いられます。


「死ぬ時は一人」という言葉には、人が誰かに支えられながら生きているように見えても「最期は自分自身の力で死を受け入れなければならない」という避けられない死と孤独を表しています。この言葉には各人一人ひとりが、それぞれの人生の終わりを迎えることを意味していて、いくつかの解釈が可能です。一つは家族や友人に囲まれていても終末期は自分自身で向き合うものだという、死との事実を受け入れる考え方です。もう一つは人生の有限性、そして死は誰にも避けられないものであることを認識し今を大切に生きるという教訓を含んでいます。たとえ、どのような状況で死を迎えるとしても、その人の歩んできた人生は尊重されるべきだという考え方もある様です。


又、この言葉には肉体的な孤独を指すだけでなく心の底では誰とも完全に分かり合えない、と言う精神的な孤独も表していると解釈できます。人生における孤独や、死への恐れを意識させると同時に、自分自身の内面と向き合うことの重要性、そして、たとえ孤独であっても、今を精一杯生きる行動の大切さを教えてくれます。


昔は死の話題が避けられました。癌で死去が近づいても本人に告知しないとか、家族や周囲が本人に隠し通しました。今は考え方が変わり本人が望むなら死を告知して「死については自分で考えてください」に変わってきています。自分の死について自分で考えて準備する社会になったのです。


人は群れで生きる動物です。孤独と死というのは生物学的や文化的にもすごく密接な関係にあります。人間は孤独を恐れます。なぜ恐れるかというと孤独になると死んでしまうからです。人は群れの動物なので、迷子になるとか一人きりになると、他の動物から殺されるとか、海や山などで事故に遭ったりします。だからこそ死に対する恐怖を和らげるために、宗教では「死後の世界は皆がいるよ」と教えるのです。


我々は死ぬときは一人と言う言葉を感じつつ、生まれてから死ぬまでの人生をお互いが寄り添って助け合い生きていこうと努力する宿命なのです。

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