おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

徘徊老人の最期はこうだ

耳たぶは、かじられていて無くなっていました。唇も形をとどめていません。眼球も一つほじくられていました。前日の午後から行方不明になっていたお爺ちゃんは、朝方、畑の側溝に横たわっている状態で発見されました。犬の散歩に出た主婦が見つけ腰を抜かして警察に電話したそうです。近頃、野犬の姿はすっかり見なくなりましたが死体を損壊する動物はまだまだ多くいます。ネズミ、野良猫、カラス、そしてタガメ等の昆虫です。


高齢者の認知症は大きな問題を起こします。徘徊から交通事故や踏切事故、そして転落事故に見舞われます。認知症患者は「夕暮れ症候群」といい、夕方になると徘徊行動を取る特徴があります。家人が目を離した時を狙うように、いつの間にか自宅から外出してしまうのです。その結果、帰り道や行き先が分からなくなり、行方不明になってしまいます。


行方不明になる原因は、認知症の中核症状である記憶障害と見当識障害が挙げられます。記憶障害とは、新しいことを覚えられず、色々なことを思い出せなくなる症状です。認知症初期段階では直近から数日前までの短期記憶が失われます。見当識障害とは、今の時間や今いる場所、周囲の人、状況などがまったくわからなくなってしまう症状です。当人はパニックになり歩き続けます。認知症の老人は驚くほど遠くまで健脚で歩くのです。


警視庁の「認知症の行方不明者」によれば、徘徊老人は子供の迷子を上回り1年間で約1万7千人にもいることがわかります。この数字は警察に届け出があったものだけなので、届け出がないものを含めれば、もっと多くの高齢者が認知症により行方不明になっていると予想されます。


近年、認知症老人の徘徊事故の責任の所在が厳しく追及されるようになってきました。踏切事故を起こし賠償金を請求された事案もあります。介護施設で徘徊事故が起きると、安全配慮義務違反を問われて損害賠償請求になることもあります。自宅でも状況によっては家族の責任が問われる可能性もあります。家族や介護者は徘徊する理由や目的が何かを考え、その行動による影響や危険性を予測し、リスクを抑えるための工夫が必要になります。


行方不明となってから1日が経過すると不明者の死亡率が約40%も増加します。9時間以内に発見できるかどうかが分かれ目となります。死因は「溺死」「低体温症」夏ならば「熱中症」の3つです。今回の死体検案書は「溺死」と記入されていました。


検視後、返されたご遺体は、全身を納体袋と呼ぶ全真っ黒なビニール袋に入っていました。


「お顔が損傷していますから、少しお時間を頂きエンバーミングでお直ししましょうか」
喪主を務める息子さんにお伺いしました。


「勝手に出て行って、迷惑をかけたのだかから、そのまま棺桶に入れてください。お葬式の時には、蓋を閉めたままでいいです」
すこし投げやりに見えるような返事が返ってきました。昨夜は一睡もせずに一晩中探し回っていたと、後から聞きました。多分、このような結末を予想していたのかもしれません。


火葬炉に入れようとしたときに、喪主の奥様が急に叫びだしました。


「お爺ちゃん、ごめんなさい。私が少し気を付けていれば、良かったのに、ごめんなさい」
目を離した一瞬の隙を後悔する泣き声が、ホールに響き渡りました。

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