髪の毛と爪を残しますか
小さな棺に収まった男の子は、まだ小学校に入る年齢までも届いていませんでした。突然の事故でした。救急搬送されてから一ヶ月、病院ではスタッフが懸命な治療を行いました。しかし、頭蓋骨の半分が無くなるという事態では存命は難しかったのです。包帯でグルグル巻きにされた頭は、お母さんが手作りした毛糸の帽子で包んでありました。病室には、ご家族や病棟の看護師さん達が作ったと言う千羽鶴が壁いっぱいに飾られていました。「目を覚まさなくてもなんとか生きて欲しい」これだけが全員の望みでした。しかし、小さな命は静かに旅立ってしまったのです。
憔悴した母親がポツリと呟きました。「これでいなくなってしまうのね」傍に居た父親が少しでも励ますように「綺麗なお骨になるから、いつまでも置いておこう」「骨はいつかお墓に入れる時がくるわ、そうなると、私の手元には何も残らない」
納棺式の前に私から提案しました。「もしよろしければ、お子様の髪と爪を残しませんか?」母親のお顔が少しだけ緩みました。「そうします、お願いします」ハサミと爪切りを用意して母親に渡します。生まれてから何百回と撫ぜた髪の毛です。赤ちゃんの時から何回かは数えてはいないけれども、顔をひっかかないよう丁寧に切ってあげた小さな手の爪です。今回が、我が子にしてあげられる最後の爪切りです。震える手で、それでもシッカリとした作業で「遺髪(いはつ)」と「遺爪(いそう)」が形見として手元に残りました。
昔から我が国は、故人の身体の一部である髪の毛を身代わりとして形見にするという習慣がありました。戦時中は戦死した仲間の身体を持ち帰ることができない場合に遺骨に代えて髪の毛を持ち帰りました。遺族に渡された遺髪は安らかな魂を願って神社仏閣に奉納したり、形見として自宅の仏壇に納めたりと、様々な形で保管されました。戦時中は遺骨の代わりにお墓に納めることが多く行われたと聞いています。
ご遺体から髪の毛を切り取って残すことは外国でも見られます。故人の身体の一部を残しておきたいと願う感情は人間の自然な気持ちなのです。旅立った故人との繋がりを持っておきたいと思う場合に遺髪を残す事が一番の方法と考える人もいるようです。後々になって「一部を残せるものならと取っておきたかった」という思いを伝えたご家族もおられました。
ただ、せっかく残した遺髪も保管には注意が必要です。髪の毛は日光に当てると紫外線を受け劣化します。メラニン色素が破壊されて脱色するし強度も劣化し切れやすくなります。湿気も大敵です。カビや雑菌が繁殖するので収納時は少量の乾燥剤と共に密閉してください。
後日、ご挨拶の伺うと母親の胸元に、首から下げた長方形の筒で出来たペンダントを見つけました。「もしかしたら、その中にお子様が入ってらっしゃいますか」「はい、いつまでも、私の手元にいてくれます。握っていると、安心するのです。毎日、話しかけています」気持ちの整理が少しずつ進んでいるように感じました。
日常的に身に着け最も密着したかたちで旅立った我が子を偲ぶ母親がいました。そして、いつまでも息子と繋がっていたいという深い愛情を見ることが出来ました。