おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

親指を隠した事がある人

「近頃霊柩車を見かけましたか」と質問します。ほとんどの方が「この頃は見ていないなあ」と答えます。少し前まで、霊柩車は直ぐに気付きました。宮型霊柩車は、その特徴的な外観から遠くからでも解りました。車の上に金色の家が建っている豪華な装飾が施されている車両は離れていても簡単に見つけられるほど派手でした。


現在、宮型霊柩車がすべて無くなり代わりに目立たない外観のリムジン霊柩車が主流になりました。すれ違っても気がつかなくなり、見かけなくなったと感じられる方が多いのです。今の霊柩車はご近所に内緒にする目的もあり、自家用車と区別のつかないタイプがとても多くなりました。車の色も黒以外にグレ一や白もあります。


小さい頃に「霊柩車を見たら親指を隠せ」と言われたことはないでしょうか。小学校の登校時に前から宮型霊柩車が来ると、全員で「親指を握れ」と声を掛け合った思い出がある方もおられるはずです。「親の死に目に会えなくなるから」が理由だと言われていますが、なぜ親指を隠さなかったら不幸が起こるのでしょうか。


霊柩車に遭遇するとほとんどの人は「縁起が悪い」と感じます。霊柩車は亡くなった人を乗せている車です。ですから「死」を連想する方が大半です。人が亡くなることは縁起が悪いと言われました。霊柩車の近くには故人の霊が彷徨っていると考えられたのです。昔の日本人は恐れることがあると、悪霊が侵入しないように親指を隠しました。親指の爪の付け根には魂の出入りする道があると信じられていたからです。魂が出入りする親指から、この亡者の悪い気が入らないよう隠したのです。


「親が早くに亡くなるから」というのも、親指を隠すべきといわれる理由の一つでした。親指という部位の名前から親の事を想い、お葬式の車からの死を連想しました。両親に長生きして欲しいという気持ちから、生み出された迷信でもあるのです。


この国は昔から、親の死に目に会えないのは最大の親不孝であると言われてきました。親が危篤との報せが入ると、どんなに忙しくても、とりあえず駆けつけるのが当たり前と言われたのです。当然周りもそれを最優先に受け止めていました。「親の死に目に会えない」の意味は、実際に親が死に瀕しているときの話ではなく、自分が親より先に死んでしまう状況を言っていると言う説もあります。この言葉の本当の意味は「親よりも先に死ぬことは最大の親不孝である」と説く教えのようです。


亡くなった方に敬意を示すためとの説もあります。これは仏教における叉手(さしゅ)と呼ばれる礼法に由来するものです。叉手とは、親指を隠すように片手を握り、もう片方の手で覆う礼法を指します。一般の方はしませんが、お坊様はなさいます。


霊柩車にはルールがあります。この車両は火葬場へご遺体を搬送する役目のためだけに運航します。従って帰りに喪家様を乗せる業務はありません。助手席の喪主様が葬儀会場に戻る際は別の方法で移動する必要があります。


今年は昭和100年と言われます。「霊柩車を見たら親指を隠せ」との迷信も今は通用しません。消えゆく昭和の言い伝えの一つとも言えそうです。

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