幸せな死に方を望む人へ
お葬式の打ち合わせに入る前に、しばらくお話をします。亡くなる前の闘病のご様子や、故人の最期の時などの、お話しをされる方が多いのです。又、ご搬送の前に病院のベッドでご遺体に対面すると、故人の死にざまの様子が、はっきりと解かる事もあります。
皆様は自分の最期を考えてみたことはありますか?もしかしたら、思いもよらぬ突然の死に遭遇する方もいるかもしれません。火事、地震、津波などの災害死。殺人犯に殺される事件死。自宅のお風呂のヒートショックや、自家用車を運転中の交通事故の事故死などです。しかし、大半の皆様の最期は、身体が動かなくなり、脳が壊れて痴呆が進み、特有の匂いがする高齢者介護病院で息を引き取るはずです。
身体の弱った高齢者が多く入院する、看取り病院に仲の良い看護師さんがいます。「幸せな最期を迎えられるかどうかは、その方の姿勢や考え方に影響するのよ」と話しはじめました。
幸せな死に方が出来るかどうかは、たった3つの事が出来ているか否かにかかっているそうです。それは、周りへの感謝が出来るか?周囲に頼ることが出来るか?自分の意思を表すことが出来るか?だそうです。
「あなたと出会えて良かった。スタッフの皆さんにも本当に感謝です」
「娘にもさせられない、オムツ交換をお願いできるのはあなただけなの」
「呼吸器は絶対つけないでほしい。そのままの身体で皆様に看取られるのが本望」
この3人とも、死ぬ間際まで笑顔を絶やすことはなく、幸せな姿で、その人らしい最期を迎えることができました。本人の望む最期にするには、なによりも本人の姿勢や意識が大事なのです。そしてそれを踏まえた本人の行動が大きく影響してくるのです。
納棺の時に喪主をつとめている奥様が、憔悴した様子で口を開きました。
「本人の望み通りの死に方だったと思います。幸せな死に方と言えると思います」
受け取った死亡診断書には「心不全にて短時間で死亡」と、記入されていました。夕方、胸が苦しいと訴えて倒れ、救急車に運ばれた時は、心停止だったそうです。亡くなったご主人は老人介護の仕事に就いていました。
痴呆が進み、手づかみで食事をする老人の食事補助や、ウンチやオシッコを垂れ流しにするオムツ老人の排泄補助や、ベッドに寝たきりになり、身体のアチコチが、床ずれで腐ってくる、皮膚の治療など、毎日、身体の自由がきかない老人たちを、必死で介護にあたっていたそうです。疲れて帰宅すると、
「俺は、誰にも迷惑をかけずに、あっという間に亡くなりたい」
が口癖だったそうです。お話の最後に、奥様の一言が記憶に残りました。
「身体が動かなくなっても良い。少しボケが来て困らせることになっても良い。せめてもう少し、一緒に年を取る時間を過ごしたかった」