おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

貴方のお茶碗は無いから

霊柩車がホーンを鳴らし、ゆっくり進み始めます。入り口の脇で待機していたセレモニースタッフが、ビニール袋に入れられたご飯茶碗を玄関の敷石に打ち付けます。
ガチャンと高い音を立てて、仏様のご飯が入っていた故人愛用のお茶碗が砕けます。


出棺時に使っていた愛用のお茶碗を割ってしまうのは、故人の魂がこの世に未練を残さず、あの世へ行けるようにと願うからです。故人が毎日使用していた食器を割ることで、この世で二度と食事が出来ない状態にして、現世の思いを断つという考えです。また故人の死出の旅路に愛用の品を一緒に持たせてあげたいという、思いやりの気持ちもあるようです。


さらに、茶碗割りは遺族が気持ちを整理するという意味合いもあります。故人の遺品を割ることで、悲しみに一段落をつけるという理由です。故人の持ち物を壊すことで、別れを実感するのです。


通常、食器は壊れるまで同じものを長く使い続けます。そのため食器は使う人の思いが宿る品物と、古くから言われていました。また、食事は生きるための力を体に取り入れる行為であり、生命の根源でもあります。亡くなった方は食事の行為が必要無くなった事に気付いてほしいと願い、そのあかしとして食器割りを葬儀で示すと考えたのでしょう。ですからこのお茶碗は生前故人が使っていた食器を選びます。


茶碗割りはこんな理由もあります。少し前まで医療は未知の世界でした。当然、伝染病で亡くなる人も非常に多くいました。病気の感染症は自分の命を脅かす非常に恐ろしいものでした。歴史で語られるように過去には疫病で多くの命が失われたのです。病気で亡くなった人が手に取って使用していた品物を壊すことは、伝染性の病気を断ち切るという意味がありました。病気の感染の恐怖から茶碗割の習慣が始まったとも言われています。


たかが迷信のため、まだ使える陶器をわざと壊してしまう作法には、納得が出来ない方も多いと思います。ばかばかしいから止めればと思う方もおられるでしょう。しかし、こうした習わしやしきたりを大切にしたいと思うお葬式の世界では、まだ受け継がれていくのです。



ある日のことです。大往生のおばあちゃんを見送るお葬式のことでした。出棺の時に故人のお孫さんにあたる女子高生が玄関わきのお茶碗に気がつきました。


「このおばあちゃんの茶碗、形と模様がいいなと思っていたの。これ、私が使いたいなあ。優しかったおばあちゃんのぬくもりを感じて食事がしたいから」


もちろん、このお茶碗は砕ける運命を回避しました。そしてお嬢さんの手で大事に持ち帰られました。今も毎日の食卓の上で、役に立っているはずです。

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