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葬儀屋の書くブログで、お葬式の話なんて縁起でもないから、誰も見ないだろうと思っていました。それでも終活ブームのこの頃ですから、参考になったと思う方が1人でもいれば良いかなと思いなおし書き始めました。
Niceのスタンプやアクセス履歴を見ると、多数の方に閲覧していただき、中には何回も訪れてくれる方々や、暖かいコメントを記入していただいた方々もおられ、心より感謝いたしております。
この仕事に就き、あらためて感じたことがあります。人の死は突然やって来ます。そして皆様あわててお葬式の準備を始めます。学者の説では死を悼みセレモニーとしてお葬式を執り行うのは動物の中で人間社会だけだそうです。
お葬式に参列した経験は、どなたも1回以上はあるのですが、実際に喪主として、葬儀屋との打ち合わせをして、執り行った経験をされた方はほとんどおられません。呼ばれた葬儀屋は、なんでも訳知り顔で説明し始めます。言われるとおりに、ハイハイと返事をしたら、終わってから高額の請求が来て、驚き、これは究極の衝動買いだったと悔やむ人も多いのです。
反対に、お金をかけたくないという理由だけで、どんどん省略する方向に向っていき直葬と呼ばれる、火葬炉に入れお骨にするだけで良い、というお葬式も行われるようになりました。当然、お寺様や、お別れの儀式は一切無く、言い換えて見れば、まるでゴミ償却のような印象さえ受けます。
参列も、家族のみで送ると言う家族葬が多くなりました。故人と関係の深い親族たちにも連絡をせず、ましてや、友人、ご近所にも知らせず内緒で行うのが、お金をかけない方法とすすめる風潮が生まれています。
葬儀を一つのイベントとして考えるなら、送る方の考えで簡略化されたスタイルがあっても良いのでしょうが、私はあまり賛同していません。仏様が寿命まで生きてきた時間の中には、沢山の人たちとの「ふれあい」があったはずです。誰にも連絡しないという寂しい葬儀は、その仏様が生きてきた長い時間を、送る側が否定するように感じています。
素敵な時間のお葬式が出来た故人には、その人の幸せな人生が見えてきます。お金さえあれば幸せな一生を送れるし、立派なお葬式を出せるとお考えかもしれません。だが生活保護の人の葬儀が、介護スタッフ全員の涙で送り出した現場もありました。
自分の人生を幸せにする努力をされた方に、ご褒美として、素敵なお葬式がやって来るように感じています。
このブログを開いてくださった皆様、どうも有難うございました。
画面でお会いできた皆様の、ご多幸とご健勝を心よりお祈りいたします。