おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

町内全員の助け合い葬儀

ひと昔前までお葬式は自宅で行いました。その時活躍したのは葬儀屋ではありません。
ご近所や町内の皆様です。町の世話役が総力を挙げて、他人である家族のお葬式を執り行いました。お葬式の知識は葬儀屋には負けないと豪語するご隠居もいたようです。


村八分との言葉を聞いたことがあると思います。仲間はずれの意味ですが、八分もシカトしながら残りの二分である葬儀と消火活動は協力し合うという意味です。このようにお葬式とは集落の世帯全員で事に当たる大イベントでした。


町会長が葬儀委員長に就くケースも多く、お身内と協力して式を取り仕切ります。家の中の片付けから始まり、受付周りや駐車場、人の誘導などは町内会の人間が行います。葬儀の料理は近所のおかみさん方が総出で作り配膳しました、隣の家の庭は駐車場に、近所の家の塀は軒並み花輪の足場に早変わりしました。ご遺体が病院から自宅に戻る時の村中総出のお迎えから始まり、10人程の世話役が打合せを仕切り、通夜、告別式には受付を全員で固めてお香典の確認、整理、集計と行います。


お葬式は、お祭りと同じくらいに大きなイベントであり、張り切る場所であったのです。 しかし受付係に10人は多過ぎますから、結局手の開いた方々は、別室で飲んだり食べたり、久しぶりの世間話に花が咲いたりと、葬儀とは別の雰囲気が生まれます。お葬式は地域の、コミュニケーションであり、こう言うと少し語弊がありますが一大レクリエーションでもあったことがよく解かります。心身ともに大変な遺族を支えるため、料理を作ったり身の回りの世話をしたりと、近所の人間が協力し合いました。まさにお葬式とは遺族と、ご近所総出の合同の儀式でした。


人間関係が希薄になった現在、このような風習は急速に廃れていきます。集落の世話役がお手伝いいただくお葬式は、ほとんど無くなりました。
近所付き合いもなくなり、遺族は極力周囲に知られないようにと神経をとがらせます。
近所も知らぬ振りをして、知らせが来ないことに内心、胸をなで下ろします。
親戚が集まり少し車を路上に止めるだけで、警察に通報する近隣住民も出てきます。そこにはお葬式で大変だからという気配りは一切通用しません。


コンビニも無い小さい集落にある雑貨店を切り盛りしていたお婆ちゃんが急死しました。ご主人を早くに亡くした後、お一人でお店を起こし、集落中の皆が必要としている雑貨のお店になりました。独身の一人息子の職業は山岳カメラマン、秘境に出かけたらしく死亡の連絡をしようにも携帯の電波が届きません。皆途方にくれました。素早く長老が呼びかけます。


「息子さんが帰ってくるまで我々が手伝おうや」


香典を集める世話役、死亡届を役所に提出する世話役、集会場を葬儀の会場に作り替える世話役、祭壇やお花を設置する世話役、食事を用意する世話役、葬儀屋のお手伝いは、棺桶と霊柩車と骨箱だけでいいと指示されました。
やっと連絡のついた息子さんが集落の全員に深々と頭を下げマイクを握りました。


「老いた母に便利な都会で私との同居を促していましたが、絶対首を縦に振りませんでした。今日ここを離れなかった理由が良く解りました。ここで一生を終えることが出来た母は幸せでした。皆様、本当に今までありがとうございました。」

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