末期の味噌汁
末期の水とは、ご自宅に、ご遺体を安置した時に、
ご遺体の口元へ、水で濡らした綿棒等で、軽く唇を湿らせる儀式です。
死に際の人が、最期に水を求めることから行われた習わしとか、
仏教の儀式で死んでいく者に対する、最期の花牟家(はなむけ)などと言われています。
ご遺体は、まだ30代の若者でした。
死亡診断書の病名は胃がんです。全身に転移していました。
両親に告げられた言葉は、
「余命、三か月」
両親は必死の看病を行ないましたが、医者の宣告通りになりました。
納棺式を終え、棺を閉めようとしたときに、急に、母親が
「すいません、10分だけ、待ってください」
台所で物音がして、しばらくすると、味噌汁が出てきました。
「味噌汁、もう一回、飲んでちょうだい」
亡くなる一週間前に、半日の一時帰宅が許されたそうです。
「なにか、欲しいものは」
の問いかけに、息子さんはこう答えたそうです。
「茶碗いっぱいのご飯と、お袋の味噌汁」
残念ながら、ご飯は、かおりを、嗅ぐだけでした。
味噌汁は、小さいスプーンで一杯、やっと口に入れることが出来ました。
「うまい、うまい」
大きな声で、笑ってくれたそうです。
湯気の立つ味噌汁椀に、綿棒が差し込まれ、
その綿棒が、そっと若者の唇に触れました。
「これで元気を出して、三途の川を渡ってくれよ」
痩せこけた頬を撫でながら、父親が囁きかけます。
棺を持ち上げた時、周りに味噌汁の残り香が、漂いました。