身内の葬儀をする気持ち
今回は私事を綴ります。このブログに目を通してくださるムラゴンの皆様方には、終活等の参考にはならない内容をお詫びいたします。
早朝に電話が鳴り、身内に不幸が発生したことを知りました。連絡をくれた家族は私が葬儀屋なのを知っていますので助けを求める内容でした。直ぐに仕度を済ませ車で向いました。
到着するまでの間、必要な手配を携帯電話で教えて、打合せ等は、私が到着してから手伝うと伝えました。数時間、病院から搬送されていた故人と対面できました。
その場に待機していた葬儀屋さんとの打ち合わせが始まります。実は最初に、私が同業者であると名乗るのを、一瞬ためらい迷いました。
葬儀屋になって、過去に喪家様の親戚に同業者がいた事があります。本音を言うとあまり、良い想い出ではありません。
「本家の施行次第と違う」とか「こちらのやり方は変だ」とか言われ、トラブルには成らないまでも、同業者はやりにくいなあ、と感じていました。
ただ、出来るなら自分の手で、納棺してあげたいとの、気持ちは強くありましたので最初に
「同業ですので、施行はお任せしますが、納棺だけ、私にやらせてください」
と、申し出ました。
先方の担当者は、喪家の家族が葬儀屋というのは、初めての経験だったようですが、快く「勉強させてもらいます」
との、心配りをしてくれました。
清拭、着せ替え、納棺と、家族、親戚の見守る中、故人を飾り付けました。
ホールに場所を移し、通夜、告別式、お別れ、出棺と進んでいきます。
ここで、気がつきました。ちっとも悲しみが、湧いてきません。淡々と、いつもの仕事のように、気配りをしている、自分が、ホールの中にいました。 身内を亡くしても、悲しめない自分に、腹が立ってきました。この業界に身をおいたおかげで、涙一つこぼれない人間に、なってしまったのかと、後悔の念も感じ始めました。
火葬炉の扉が閉まり、家族や親族が、すすり泣いています。その中で、今お釜なら何分後が骨上げと、計算している、自分が、情けなくなってきました。
骨箱を持って、お伽の食事会場に移動します。 食事前に、思い出を語り始めた時、不意に、声がうわずりました。胸の奥に、熱いものが一瞬、生まれました。すぐに飲み込みましたが、なにか、ホッとしました。悲しみの感情が、一瞬でも出てきたことが、とても嬉しく感じたのです。
人の死という、悲しみには鈍感になりましたが、自分の手で旅立ちの支度をしてあげることが出来たという達成感を味わえたのもこの仕事を選んだからです。
葬儀屋という職業を選んで、良かったとあらためて思っています。