おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

息子が11人に増えました

病院の霊安室から亡くなった方を乗せて寝台車が出発する時でした。車の横に
お医者さん、看護師さん、事務の女性など、10名程が見送りに出てきました。
動き出すと全員が深々と頭を下げてきました。このような見送りは初めてです。
通常、病院関係者の見送りは、看護師さん1人だけか、誰も出てこないか、
裏門を戸締りする守衛さんが1人出てくるぐらいです。


「お亡くなりになった故人は、病院の関係者ですか?」


不思議に思い、つい尋ねました。返ってきたのは思いもよらない答えでした。


「息子の臓器を提供したので、見送りに出てくれたと思います」


そういえば、霊安室のベッドからストレッチャーに、ご遺体を移すときに違和感がありました。身体の大きさの割に体重がとても軽く感じたのです。
内臓が無いのが原因だったと、そのときに気付きました。


臓器移植は外国では1950年頃から始まりました。日本は諸外国に比べ大変遅れています。提供数も少ないのです。最初の心臓移植手術が刑事告発をされ裁判になったのが原因です。50年後の1997年にやっと臓器の移植に関する法律が規定されて、脳死したドナーからの合法的な臓器調達が始まりました。


移植できる臓器は、心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、そして眼球(角膜)です。
このうち、肺は2つ、肝臓は2つ、腎臓も2つ、角膜も2つ、摘出できますので、合計11個の部位が取り出されます。


ご自宅に向かう寝台車の助手席でお母様が話してくれました。息子さんの死因は、くも膜下出血でした。入院の手続きで持ち物を整理していたら、運転免許証の裏の臓器提供にすべて書き込んであり、なおかつ臓器提供意思表示カードも携帯していたそうです。そしてお母様が決断した一番の理由は、そのカードに、大きく「よろしく」と書かれていたのを見つけた時でした。


ご自宅に安置し、御着替えをするときに、ご遺体のお身体を確認しました。病院で死因の究明のため、死後に病理解剖をする時があります。過去の経験では、死体の手術のせいか縫合が雑で、体液が漏れてくる場合がありました。息子さんのお身体には喉元から下腹部まで、一直線の傷がありましたが、傷跡は生体手術のように緻密に細かく縫われていました。


臓器摘出手術のお医者様が敬意と感謝の気持ちで取り出したことを感じました。


お母様がゆっくりと口を開きました。


「息子は1人死んでしまったけれど、代わりに11人の子供が出来たような気がする。
 どこかで息子の身体はいつまでも生きているのですね」

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