自殺は重い罪と言われる
本日は自殺者のお葬式を手伝っています。この葬儀と言う仕事に就いてから知って驚いたことがあります。自殺で亡くなる方がとても多いことです。このブログでも自死遺体の旅立ちを多く綴っています。メディアでは自殺を減らすために心のケアをする活動とか命の大切さを啓蒙する広報が行われていますが、残念ながら、せっかく減少傾向にあった自殺者数の推移がコロナ禍以降に再び増加に転じています。
自ら命を絶つ方はすごい決断力を持った方だと思います。普通の精神状態では自らの手で命を絶つ恐怖には絶対に勝てません。自殺者の死に顔は全員が苦しそうな表情をしています。誰もが必ず迎える死です。せめて安らかなお顔で旅だって欲しいと、数えきれないほどの「死に顔」を見てきた私は想います。
死んで霊になっても生きてきた時の精神は引き継がれると言います。肉体的な苦しみは自殺で消えるのでしょうが、心の悩みはあの世でも続くと言われます。困難な問題を解決する手段で自殺が選ばれるようです。楽になりたいとの気持ちから衝動的にする人も多いようです。ですが自殺は問題処理の最適な手段ではありません。深刻なうつ状態への対応や、苦しい生活状況の解決に対処する唯一の方法でもありません。精神疾患を持つ人が自殺をすると言われますがすべての自殺者が精神病患者ではありません。
自殺を考える人は死ぬ決心をする前に、生きたい気持ちと死にたい気持ちの間で揺れるようです。残された家族はそのことを知ると、気がつけなかった自分自身を大いに悔やみます。それでも一度自殺を考える人間はずっと自殺願望が続くそうです。自殺に至る原因はひとつか、又は単純な出来事から生じた結果ではないはずです。人を自殺へ追い込む要因は複雑なことが多いのです。ストレスを感じる人生の出来事や、周りから受ける社会的要因も自殺衝動の原因になると聞いています。
どの宗教も自殺は大罪と教えています。特にキリスト教やイスラム教では、せっかく神が与えてくださった命を勝手に断ち切るのだから、それは神への裏切り行為として罪悪視されています。自殺者は「犯罪者である」と書かれています。キリスト教では「死」を罪の対価として捉えています。この意味で「生」は信仰であり、自らが命を絶つ「自殺」はこの信仰に反する行為として違法視されるのです。キリスト教的理念が強い西洋においては自殺者のお葬式や埋葬を禁止するなどの宗教的刑罰もありました。そして自殺者の財産の没収などの物質的刑罰を科していました。
仏教でも自殺は殺人と同じと捉えます。仏教では自殺をすると7代先まで成仏できないと聞いたこともあります。悟りを開くことを学ぶ人が、守るべき十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)という戒(かい)があります。その冒頭には不殺生戒(ふせっしょうかい)といって、生き物を故意に殺してはならないことが掲げられています。仏教では自殺は「自分を故意に殺した魂」と、捉えているのです。しかし、お釈迦様は、自死を選んだ人に対して涅槃(ねはん)に入られ永遠の悟りの境地に入ったとも教えています。実は仏教では事情や動機によっては自死に対して必ずしもダメだという表現をしていないのです。
宗教感はどうあれ、何故、人は自らの手で自分自身の殺人に走るのでしょうか?