ああこれで自由になれた
高齢のお婆ちゃんのお葬式を行っています。喪主様は珍しいことに「ご長男のお嫁さん」です。棺桶の中のお婆ちゃんとは「血」の繋がりがありません。お婆ちゃんの配偶者はとっくに亡くなり、ご長男もずいぶん昔に他界されていました。結果として嫁ぎ先の「姑」である義理のお母さんと残されたご長男のお嫁さんだけが残されて二人暮らしの生活が長期間続いたのです。前から気性の荒かったお婆ちゃんは認知症も進み晩年はお二人が相対する時間も多くなっていたようです。
喪主様のご親戚が中心の集まりになりました。そこで聞こえてきた「信じられないお嫁さんの本性」についてお話しします。お葬式という厳粛な場で放たれた、あまりに衝撃的な一言でした。
「あ〜これで、やっと自由になれるわ」お葬式の最中です。ふと笑いながら言いはなった一言に、その場が凍りつきました。
「は〜これでやっと、自由になれるわ〜。長い間よく頑張ったと思う。ほんと、大変だったのだから」
その場の全員が固まりました。まるで「長年の束縛から解き放たれた」とでも言わんばかりの口調でした。そして、その発言には涙も悲しみも一切感じられません。喪主さんの娘さんがやんわりと諭しました。
「すこし言い過ぎよ、昔からお母さん、本音を言いすぎ、結婚してからも『この人がいなければ好きなことできるのに』と言ってみたり、『家事も介護も全部自分の犠牲』と訴えたり、すこし我慢も必要って言っていたでしょう」
それでも本音は止まりません。
「これからは旅行も行けるし、ごはんだって自分のペースで食べられる。 もう朝から味噌汁も作らなくても良いって思うだけで嬉しい」
もちろん、長年の苦労があったのは理解できます。しかしお葬式として、故人を敬うイベントの最中である、せめて今だけは、感謝と敬意を見せるべきではないかと、私は思ってしまうのです。
毎回、配偶者や親戚との死別を目の当たりにするのが葬儀屋の宿命です。遺された者の深い悲しみや苦悩そして安堵など、夫婦の数だけ異なる別れがあります。愛する者の別れに号泣する現場は少なくなり、夫との生活に疲れ「やれやれ、やっと死んでくれた。ホッとした」などの妻としての本音の言葉も聞こえてくる別れの場も増えてきています。
夫婦の愛情は死後も続き、来世もまた一緒に暮らせるなどと浮かれている世の男性諸君、本当に愛されているか、今の生活をもう一度見直しませんか?