おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

葬儀屋の面接に来た女性

この仕事は「究極のサービス業」と言われます。葬祭業に興味を持つ若者が増えるのは嬉しいことです。特に、これからの多死社会に進む日本では葬儀屋は未来がある業種かも知れません。しかし世間の印象が良い職業とは言えない状況もあります。葬儀屋に対して良いイメージを持っている人は少ないのです。周りから「人の死を商売にしている卑しい仕事」と認識され、家族から「やめとけ」と言われる人もいるようです。数年前「どうしても葬儀屋で働きたい」という女性が面接に来ました。


「葬儀屋さんで働きたいと思ったのは、高校生の時の親友を交通事故で亡くしたことがきっかけです。一緒に通学していた通学路で、わき見運転の車が突っ込んできました。間一髪で私は助かり横を歩いていた彼女は即死でした。車が見えた時に私はとっさに彼女の手を引っ張って避けようとしたのですが、間にあいませんでした。私の目の前で、親友は車ごと飛んで行ってしまったのです。自分の手に残る感触と最後に聞いた彼女の声は一生涯忘れることができない記憶です。


『もっと自分が注意していれば』『もっとしっかり手を握っていれば』


永い間悔やみました。たくさんの人が私のことを心配し、いたわり、支えてくれました。スクールカウンセラーの先生も、じっくり聴いて下さいました。時間をかけて、ゆっくりと否定や意見を挟むことなく話を聴いてもらうことで、心の中の悔やみが解けていきました。家族も私を見守ってくれました。他にも、たくさんの人が心配してくだり時間がかかりましたが大親友との死別を受け入れられたのです。


実は、お葬式に参列するのがすごく怖かったのです。最初は『泣かずに送ってあげよう』と心に決めたのですが、彼女が受けたであろう苦痛や自分が助けられなかったとの罪悪感から、彼女の顔を見ることが本当に怖かったのです。棺の前で足がすくみました。棺桶の中の親友の顔はきっと顔中があざだらけだと思い込んでいたのです。お化けのような変わり果てた姿になっているに違いないと覚悟して覗き込みました。


しかし、棺の中の彼女と面会した時に、その顔は本当にきれいで、おだやかに眠っているようでした。正直なことを言うと、悲しみと罪悪感に占められた心の中で、一瞬『よかった』と感じたのを強く覚えています。彼女が苦痛に満ちた顔ではなく、きれいな顔で旅立てたことに、安堵したのです。親友の死が『よかった』と感じる感想は不謹慎だと言われると思います。それでも、きれいなお顔にとても心が休まりました。その時は葬儀屋さんとか納棺師さんの仕事のことは知りませんでした。後で彼女の顔をきれいにして下さり、そして私の中の悲しみを少しだけ和らげてくれたお仕事をされている人がいることを知りました。


そして、その人達の仕事を私もしてみたいと思うようになりました。葬儀屋さんや納棺師さんに心から感謝を伝えたい気持ちもあります。亡くなった人に、出来る事を精一杯してあげたい、お役に立てる仕事をしたいと決めました。私が葬儀屋さんになることは旅立った親友の遺志でもあるかもしれません」


現在、彼女は、少々傷付いたご遺体でも綺麗に修復させる技術を持った納棺師になりました。

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