おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

どうしても尋ねる質問は

ムラゴンの皆様の中で、目の前で「看取り」を経験された方はどのくらいおられるのでしょうか?看取りとは、無理な延命治療などは行わず、弱った方が自然に亡くなられるまでの過程を見守ることです。「看」という漢字には「よく見る」「見守る」という意味があります。人が亡くなる瞬間まで傍で立ち会うことを「看取る」と表現します。臨終を迎える方を、その手前の段階から看病し寄り添い、最後の息を引き取るまで観察して、しっかりと見届ける行為が「看取り」なのです。


寝たきりの状態の高齢者ばかりが入院する老人介護施設のスタッフは毎日のように看取りを経験します。知り合いの看護師さんが、こんな話をしてくれました。


「呼ばれた家族が臨終に間に合わず、亡くなった人に対面する前に、私達に必ず聞く言葉を知っている?それは『最後は、苦しまなかったでしょうか?』なのよ。どの家族も必ずこの質問をするのよ」
「その質問には、どうこたえるのですか?」
「もちろん『苦しんでいません、安らかな最期でしたよ』と必ず言うことを決めているわ。臨終がどんな状態でも、余計な事は言わないし話す必要もないのよ」


終末期の人が臨終を迎える時は、結構、目をそむけたくなるような状態になります。弱って来ると、まず意識が無くなり目をつむったままの状態が長くなります。不規則な呼吸や無呼吸が現れ始めます。 唇が紫色になりチアノーゼがあらわれます。手足が冷たくなります。 血圧が下がります。 口をパクパクさせるように動かす「下顎(かがく)呼吸」と呼ぶ呼吸の状態があらわれます。こうなると亡くなるまで残された時間は後1~2時間です。周りからみると、この呼吸の状態は、結構苦しんでいるように見えます。大きく口を開け、必死で酸素を取り込むように見えるのです。喘鳴(ぜんめい)と言って、喉の奥のほうでゴロゴロと音がすることもあります。痰がからんで呼吸が出来ないので、周りの人間は「本人は辛くて苦しんで見える」と感じます。臨終を看取った家族の中には「苦しそうで見ていられなかった」と話す人もいます。お医者さんに「吸引器を用いても取ってあげてください」と泣きつく家族もいるようです。水分が無く粘った痰は、吸引機でもうまく取れないことが多いのです。看護師さんは、楽にさせようとして顔を横に向け見守ります。


しかし、学説によると「ご本人は苦しく感じていません」と唱えています。顎(あご)を上下に動かすように呼吸をするのは、 身体の機能の衰えにより酸素が足りなくなり、少しでも空気を取り入れようとする反射行動です。これがあえぎ苦しんでいるように見えます。脳内の二酸化炭素の濃度が上がると「エンドルフィン」というホルモンが出ます。この「エンドルフィン」は脳内麻薬とも呼ばれ、幸福感をもたらす神経伝達物質です。多量に分泌された脳内は、劇薬のモルヒネやコカインのような効果をもたらします。この物質が多量に出る事で、多幸感の状態になり苦しむことなく最期を迎えるのです。周りが見ているほど本人は苦しく感じていません。


地方から出てきた父親と一緒に警察署の霊安室に向かいました。交通事故死にあった息子のご遺体を引き取るためです。対面する前に検視官にかけた父親の一言は、やはり、この言葉でした。
「息子の最期は苦しまなかったでしょうか?」

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