おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

この口紅をつけてあげて

納棺式が終わり、皆様が棺桶を覗き込みます。「綺麗になったね」「美しいお顔で旅立ちだね」「今までで一番、美人さんになった」いろいろな感想が聞こえます。死に化粧をお手伝いした「おくりびと」にとって、一番働き甲斐を感じる瞬間です。


死に化粧とは、ご遺体の表情、髪、身だしなみを整えて化粧を施すことです。生前の姿に近づけることで故人の尊厳を守ります。そして、なによりも大切な家族を亡くした遺族の悲しみの気持ちを癒すための大きな意味を持ちます。納棺式で、この時間は故人の死を受け入れて心の準備をするためにも大切な儀式です。


亡くなると死体の皮膚は急激に水分が失われ乾燥が進みます。特に露出しているお顔は皮膚が引き攣れることで表情が変化してきます。こうなると生前とは印象が変わり死人の顔に見えてくるのです。肌の乾燥が気になる場合は最初にクレンジングクリームで汚れをふき取り、その後蒸しタオルをあてて肌を保湿します。柔らかくした部分に乳液を塗布します。特に乾燥した唇にリップクリームは重要です。


穏やか死に顔の印象は顔の色から受けます。死去すると比重の重い赤血球は下方に移動します。あおむけの場合は顔面から血色が失われ蒼白化が進みます。血色を補うメイクを行うためにチークを手にとり、指先で額、頬や顎先と耳になじませます。穏やかな表情にするために、瞼と耳たぶだけでも血色を入れると死に顔の印象が変わり生気が戻ります。


男女とも闘病生活が長くなると口周りの髭が目立つようになります。髭剃りも必要です。表皮を傷つけないよう注意しながら、低刺激のT字髭剃りまたは電気シェーバーを使用します。髭剃り後はタオルで拭いて保湿します。小鼻は汚れがたまりやすいため指先でクリームをなじませ、汚れが浮き出てきたらティッシュペーパーを当てて汚れを拭き取ります。


手入れが出来なかった眉を整えるのも大事なエンゼルメイクです。眉ブラシでとかして整えます。毛が足りないと思われる部分はアイブロウペンシルでうっすらと描き足します。眉の形はその人らしさのお顔を決めます。遺影写真などを参考にして家族の記憶にある故人のお顔に調整します。


口紅も大事です。遺体用メイクキットの口紅を使うと、故人の使用していた口紅の色と違うこともあり印象が変わります。出来るなら故人がいつも使用していた化粧品を、ご家族に了解を得て使わせていただくと、いつものお顔に戻り、自然な表情に整えることができます。


「この口紅を使ってください」と差し出されたのはシャネルの口紅でした。出張で海外に出ていた娘様がお土産に買って、帰宅したら渡そうと思っていた品物でした。「間に合わなくて渡せなかった」と残念がっていたのを聞いた家族から「死に化粧でつけてあげて」と申し出されたのです。刷毛で丁寧に唇をなぞりました。日本製には無い鮮やかなピンク色は、目をつむったお顔を華やかに彩りました。
お孫さんが呟きます。「これ形見に私が貰う。この口紅をつけるとお婆ちゃんを想い出せる」

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