おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

花火と祭太鼓に送られて

遺影写真にはお祭りの法被をいなせに着込んだ写真が使われました。晩年は町内のお祭りごとの責任者として活躍した日々でした。町内会の役員を始め、消防団の団長を務め、祭りの台車の引き回しには運営委員長として欠かせない人材でした。花火とお祭りが大好きだった一人のお爺ちゃんが皆様の涙で送られたお葬式です。


花火が大好きで「人生はパッと上がり、ドーンと開いて、シュッと無くなる」が口癖でした。市内の花火大会には自腹で一発7万円の尺玉を購入して打ち上げ喜んでいました。自らの言葉通り昼過ぎに「調子がイマイチ」と自分で市民病院に行き、お医者さんから「明日の検査の為に今晩入院してください」と言われた夜に眠ったまま亡くなりました。死亡診断書は「老衰」でした。家族全員が「あっと言う間に死んでいくなんて、まるで花火のような死に際だわ」と感心しています。


コロナ過の流れもあり最初は家族のみで送る「家族葬」でお話が進んでいました。そこに一報を聞いて駆け付けた青年団の皆様から「葬儀費用なら我々が出す。頼むから皆で見送らせてくれ」と請願があり、結果大きな規模のご葬儀になりました。


遺影写真の横に、写真家の友人が作成した花火の大輪の写真が飾られます。お孫さんからはエアコンの風でくるくる回る「風車」が数多く作られて遺影の周りに置かれます。まるでお祭りの屋台のような祭壇が出来上がりました。


賑やかで盛り上がったお通夜の会食が行われ、翌日も大人数の弔問の列が途切れませんでした。喪主様の挨拶も終わり出棺が近づきます。その時、数台のトラックが駐車場に入ってきました。荷台には大きな祭り太鼓が乗っています。そういえば焼香の途中から青年団の皆様のお姿が見えなくなっているのに気がついていました。霊柩車に乗り込む準備の時から、大きな太鼓の音が葬儀会館全体に響き渡ります。


「ドーン!ドン」国葬で陸上自衛隊が打ち上げた「弔砲」のような音が響きます。


宗教と太鼓は縁があります。縄文時代に土器に皮をかぶせて叩いたものが太鼓の始まりと言われます。神や祖先との対話のための道具として使われました。太鼓は神霊が宿るとされる大木で作られ霊力を持つとも信じられています。太鼓には単に音を出す楽器ではなく、あの世に呼び掛けるための道具の役割を持っているのです。


天理教は日の出と日の入りの時に太鼓のお勤めをします。教会や信者のお家からは、朝夕に太鼓と拍子木の音を聞いた人も多いと思います。仏教でも日蓮宗は団扇太鼓を使いますし、お坊様の読経の時は鳴り物して太鼓が使われることもあります。


荷台の上で上半身裸になった青年団の皆様が力一杯バチを振り下ろします。感謝と涙で鳴らされる告別の響きです。花火の破裂音にも聞こえます。雄叫びをあげる太鼓の音で、霊柩車の出発ホーンも聞こえません。


車の窓から、いつまでも太鼓の響きが聞こえていました。輝いた人生を過ごして、花火とお祭りが大好きだったお爺ちゃんの魂が、今、極楽に打ち出されていきます。

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