不思議と雨が降るお葬式
先ほどまでポツポツと降っていた雨がお通夜の開式時間が近づくと止みました。まるで会葬者の皆様が濡れないように心を配ったと感じました。お通夜が終わり家族だけが棺の周りを囲むころまた強く降り出しました。最後のお別れを惜しむ故人の涙のようです。翌日の告別式の日も、どんよりとした今にも一雨来そうなお天気でした。案の定、祭壇から棺を下ろしお別れの時間になるとザーと夕立のような雨になりました。身体が残っているうちに流す最後の涙です。出棺が近づくと、一気に雨があがり雲間から太陽が顔を出して来ました。先ほどの雨が嘘のように晴れた中、霊柩車がお別れのホーンを鳴らします。火葬炉に無事に入り、家族が火葬場の煙突を見上げます。太陽が降り注ぐ下で、皆様の横顔に気持ちの良い風が撫でていきます。まるで「さようなら」を伝えているようでした。
たまたま偶然だよと言われるかもしれません。しかし私は故人がお天気を左右していたと思いたいのです。皆様はお葬式に参列した時のお天気を覚えていますか?「お葬式の日は雨だった」と思い出される方は結構多くおられます。ご遺族にとっては、雨もお葬式の情景として深く印象が残るのです。
お葬式の日に降る雨のことを涙雨(なみだあめ)と言います。空から降る雨を悲しみの涙に例えたのです。故人が旅立つ前に涙を流してお別れを伝えていると感じた人が多くいたのです。また、故人を失うことがご遺族だけでなく社会にとって大きな損失であるような場合に「天が故人を偲んで泣いている」とたたえる手向けの言葉として使うこともあります。
涙雨は基本的によい意味で使われる事が多いのですが、数ある表現の中には「故人が、この世に残した無念の気持ちの涙」との意味もあります。ですからご遺族の悲しみを考慮すると、第三者が簡単に雨の話題を持ち出すのは、注意したほうが良いかもしれません。
農業国であった日本では雨は恵みをもたらすものと言われました。吉兆とみなす表現も多く、凶事であるお葬式に安易に使用するのは難しいのです。むしろ、お葬式の出棺時などに雨が上がることを、故人の遺徳とたたえることの方が解りやすい使い方かもしれません。
905年頃の日本で作成された最初の勅選和歌集があります。「古今和歌集 全20巻」です。歌数は総勢1111首。その中には死別を呼んだ哀傷歌も多数掲載されています。
小野篁(おののたかむら)朝臣が妹を亡くした時に読んだ歌に「泣く涙 雨と降らなむ渡り川 水まさりなば 帰りくるがに」があります。歌の中の渡り川というのは三途の川のことです。今の言葉に訳すと「泣いて出てくる涙が 雨になって降ってほしい。三途の川の水を増して、川を渡れなくしてほしい。そしてあの人が帰ってくるように望みます」になります。妹が死んだときに詠んだ歌とされていますが、当時の「妹」とは親しい女性を指す言葉なので、おそらく恋人が亡くなった時に詠んだ歌でしょう。涙を雨に見立てて、その雨で三途の川を増水させて、渡れずに帰ってきて欲しとの思いが伝わります。
お葬式の時以外でもほんの少し降る雨のことを「涙雨が降った」と言うお年寄りもいます。故人が流す涙と思いたい家族か、またはご遺族の悲しみが雨を降らせているのか、いずれにしてもお葬式と雨はとても関係が深いのです。
本日も先ほどまで降っていた雨が突然に止みました。まもなく出棺になります。