妻の仏壇の前で死にたい
火葬炉に飲み込まれていく棺桶を見送るのは、葬儀屋の私とヘルパーさんの二人だけでした。亡くなったお爺ちゃんは長期間生活保護を受けていました。独居の生活保護の方が死去すると役所は戸籍を辿り関係者を、とことん探しだします。お葬式と相続をさせるのです。しかし苦労して見つけ出し連絡を取ってみても、ほとんど全員が断ります。いままでお付き合いも無いのに急に「親戚だから葬式をしてください」と言われて「はい、わかりました」というお人好しは滅多には見つかりません。
事故で働けなくなった以降、故人は生活保護でなんとか暮していました。いよいよ具合が悪くなり病院で診てもらった時「もうステージ4です。手の施しようがありません」と言われてしまいました。「若いうちから、酒が離せない飲んだくれの生活だった。しょうがない」と宣告を覚悟していたと後で言っていたそうです。足腰が弱ってきて入院生活が長引きました。退院は難しくなり療養型の施設に転院が決まります。誰もがそして故人自らも其処が「終の棲家」になると解かっていました。
入院前に面倒を見ていた訪問ヘルパーさんに連絡が入ったのは転院数日前の出来事でした。「病室から突然居なくなった。どこか心当たりを探してくれないか」でした。自宅アパートだと見当をつけて訪問します。思った通りに、せんべい布団にくるまっているお爺ちゃんが見つかりました。
「早く帰りましょう」「頼むからこのまま家にいさせてくれ」と懇願します。「どうしてそこまで家にいたいの」と理由を聞いたら涙と一緒に答えが返ってきました。「入院前には毎日行っていた、妻の仏壇に花を供えて手を合わせるのを長く出来なかった。申し訳ない気持ちで一杯になった。もう長くない私の最後の生きがいが、妻の仏壇に手を合わせることだ」と話されたのです。息をするのもゼーゼーと苦しくやっとという状態なのに切々と訴えます。お爺ちゃんの固い意志が見えました。
病院に見つかったこと伝え特例として今晩一晩だけの外泊が許可されました。しかしお医者様から「少しでも具合が悪くなったら救急車で搬送する」と条件が付けられました。お爺ちゃんは哀願します「頼む救急車には乗りたくない、もう行かない」救急車を呼ぶと蘇生されて死ぬ迄病院で過ごすことだと全員が解かっていました。
翌朝訪れたヘルパーさんはチャイムを鳴らしても出てこないので上がり込みます。そして仏壇前に倒れている姿を見つけます。奥様の仏壇には、新しいお花と、その日に炊いて供えたご飯とお水がありました。発見した時にすぐに救急車を呼べば蘇生したかもしれません。ですがヘルパーさんは呼ばずにかたわらに寄り添いお医者様に往診をお願いしました。到着後、死亡が確認され死亡診断書が渡されました。
末期の願いの通りに「妻の仏壇に手を合わせながら自宅で旅立つ」が行われました。一歩間違えると不審死になりかねないケースですか、スタッフの心使いで「こんな最期を迎えたい」との遺志がかなえられました。
先に亡くなった奥様の仏壇前で旅立たれたご遺体のお顔は微笑んでいました。納棺の時に、仏壇にあった奥様の遺影写真を額から外して胸に抱いてもらいました。