夫の遺言は葬式について
机の上の電話が鳴りました。「そちらにお葬式の予約を入れていた〇〇です。先ほど亡くなりました。よろしくお願いします」とても落ち着いた声に聞こえました。葬儀屋にかかってくる電話には「突然の事で慌ててどうしようか」と言う思いが伝わって来る場合が多いのです。受話器から聞こえてくる「死んだ、死んだ」としか言わないご遺族とか、こちらが「亡くなった方のお名前をお願いします」と尋ねても、自分の名前を懸命に伝えて受話器の向こうで「お父さん、それは自分の名前でしょう」と諭されている喪主様などです。
今回の仏様のお葬式の予約は、半年程前に入院中のご自身から直接メールにて頂きました。最初のメールには「私の余命はもうありません。残された家族に負担をかけたくないので、お葬式をしっかりと決めておきたいと願い、そちらに連絡しました」とありました。
若い頃、葬儀業界で働いたこともあるとの自己紹介もありましたので、同業として余計なアドバイスは控えて、要望通りの見積もりを作成し、振り込み迄完了しました。簡素化過ぎるお葬式かもしれないと思うところもありましたが、残された家族に金銭的な負担をかけないようによく考えられた内容でした。最期のメールにて「弊社で責任を持ってお引き受けします。出来るだけ先になるよう、お祈りしております」と送りました。
連絡を受けて病院からご自宅に搬送し、安置しました。お葬式の内容の打合せは、すべて終わっていましたので、残された奥様と闘病の様子などのお話しを始めました。
亡くなる三か月程前にベッドの脇に呼ばれたそうです。最初は「ちょっとお願い」と言われたのでいつものように「なんか飲みたいの、テレビでもつける、痛くない」などと話したそうです。ところが、ベッドの上の夫が話し始めたのは「死んだ後の説明をするから聞いて欲しい」でした。心臓がドキッドキッしたと、想いだすようにお話は続きました。
「病気が解り入院してからは今までの通院とは桁違いお金が出ていきました。高額医療費制度を使っても、貯金が見る見るうちに無くなります。これから先はこんなに大変なお金が掛かるのかと心配で夜も眠れない日が続きました。ベッドの上の夫はその気持ちを解かってくれていたのだと思います。若い頃、葬儀屋で働いた経験を持つ夫は、もしもの時の私は、多分動転して打ち合わせなど出来ないと判断してくれたと思います。お葬式を行なったことのない私に、一番の遺言を残してくれました」
夫は覚悟したように話し始めたそうです。「お金がなるべくかからないお葬式にすること、葬儀屋はもう自分で決めてあり連絡済みなこと、死んだらどのタイミングで葬儀屋に連絡すること」など、とても詳しく説明してくれたそうです。始めは聞くのが辛く「今、話さなくても」と涙ながらに訴えたそうですが、落ち着いて考えると、とても助かったとの思いが強くなったそうです。いざと言う時は不安が先に立ち、残された奥様だけでは、頭が回らなく、お葬式の準備などとても出来ないのを見越しての遺言でした。
「使いまわしの供花の余りで作った別れの花束などはいらない。その代わり庭に咲いている雑草をつんで入れて欲しい、咲いた花が無い時は緑の草の香りをかぎながら旅立ちたい」
悲しみの中、奥様はすべて遺言どおりに行動しました。帰りたかったご自宅のお庭から摘まれてきた雑草の束が、棺で眠るご主人の胸元にそっと入れられました。