おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

認知症の爺ちゃんの奇跡

85歳以上で4人に1人が発症する脳の病気があります。認知症です。脳の細胞の働きが悪くなる病気です。家族の顔がわからなくなり、過去の記憶が無くなり、自分の居場所を忘れ、手足の運動に障害が出ます。食事や排泄も難しくなり、日常生活に支障が出て、周りの家族はとても苦労をします。打合せを始めた喪家様ご家族は先ほどからとても悩んでいました。90歳のお婆ちゃんのお葬式の出来事です。


「葬儀屋さんお爺ちゃんの出席はどう考えても無理だから諦めようと思うのだが」
認知症が進み介護施設に3年前から入院している、故人の夫がまだ存命でした。


「痴呆が進んで、もう誰の顔もわからない。赤ん坊のようになり、知らない場所に行くと、泣いたりわめいたりして手が付けられない、車イスの上で暴れだす」
「葬儀会場に行く体力も無いし、連れて行っても周りに迷惑をかけるだけなので」


いままで黙って聞いていたお孫さんが思い詰めていたようにポツリとつぶやきました。
「でも、お爺ちゃんはわかっていなくても、お婆ちゃんはきっと会いたいと思う」
「やっぱり妻の葬儀に夫が不在なんて寂しすぎるよ」
「今すぐ施設に連絡してみよう」「何とかひと目でも合わせてあげたい」


介護ヘルパーさんや看護師さんも協力してくれて、参列者の来る前に会わせる段取りです。
車イスのお爺ちゃんがヘルパーさんに押されてやってきました。やはり皆が心配した通り、環境の変化でわけのわからないことを喚きながら、泣き声やうめき声をあげています。やはりこの状態では、何も理解出来ないじゃないかと、全員の気持ちが曇りました。
棺の脇まで車イスを近づけました。
「お父さん、誰だかわかる?」「見える?奥さんだよ」「お爺ちゃんが会いに来てくれたよ」


じっと棺桶の中の奥様を見つめていたご主人の肩が震えて、頬に涙が伝わっています。
「泣いているの」「お婆ちゃんのことわかるの?」「今日はお葬式だよ」
「やっぱりお婆ちゃんのことは記憶にあるんだ」「そりゃ何十年も連れ添ったから」


静かに涙を流していたご主人が、柩に手をかけて車イスから立ち上がりました。おぼつかない足元を心配して家族が身体を支えます。
「お爺ちゃんどうしたの?」
「お婆ちゃんの顔を、もっと近くで見たいの?」


ご主人は柩につかまり、故人の顔に手を伸ばし震える手でそっと奥様の顔に触れました。
「ばあさん」
小さくつぶやきました。
「ばあさん。ありがとう」
そこまで言うとその後はぐったりと車イスに沈み込み叫び始めます。残念ですが又もとの状態へと戻られてしまいました。やむなく参列者の集まる前に介護施設にUターンです。


その場に居合わせた全員が、奇跡の瞬間を目撃した驚きを感じました。そして感動の涙で、車イス用リフトが付いた介護タクシーを見送りました。

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