おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

枕経は大事な御経の時間

宗教を信じない方が多くなり、お坊様を呼ばないお葬式が増えていると話題になっています。しかし葬儀を身近に感じる者としては、まだお葬式と仏教儀式は切り離せない流れだと考えます。確かに、良く解からないお布施の価格とか、戒名料と称する高額の請求に疑問を抱く人が増えているのは理解できます。ですが、祭壇の前に置かれた曲録(きょくろく)と呼ぶ椅子に、立派な袈裟で整えたお坊様が座り、静まり返ったホールの中に朗々とした読経が響く独特の雰囲気に、家族を亡くした人々は安心感を覚えるのも現実の出来事です。


お葬式の御経にはお通夜の時に読む御経、翌日の告別式の読経、火葬場でのお唱え、初七日法要のお勤めがあります。この四つがお葬式で欠かせない御経だとお思いですが、実はお寺様が一番大事にしている御経は亡くなられた直後に僧侶がご遺体の枕元で唱える「枕経」(まくらきょう)なのです。この枕経こそ、お坊様が死者に亡くなったことを告げて、あの世への案内を誘うために行う仏教議式の中でも、もっとも大切な御経なのです。


昔は死去の前の臨終時にお坊様を迎えに行き、枕元で読経をいただきながら最期を看取るのが本来の姿でした。しかし今は病院で亡くなるため臨終で御経を上げてもらうのは不可能です。そのため枕経は搬送後のご遺体を安置している場所で行うようになりました。枕経を行う時間に決まりはありません。安置後になるべく早くお寺様に連絡を取り行います。


浄土宗では来迎仏やお名号の掛け軸などを故人の枕元に飾って枕経を行います。お坊様だけでなく参列したご家族も「南無阿弥陀仏」を唱えます。お坊様がカミソリで頭髪を剃る真似をする作法を行い三宝(仏・法・僧)に帰依させて戒名を授けてもらいます。
浄土真宗では枕経とは言わずに「臨終勤行」(りんじゅうごんぎょう)と呼びます。浄土真宗は死後すぐ仏になる往生即身仏の考えから、故人ではなく阿弥陀仏に対して行います。他宗派と違うのでご遺体の枕元でなく仏壇や掛け軸のご本尊に向かって御経をあげます。
日蓮宗では、最初に「勧請」(かんじょう)を読んで仏様をお招きします。その後「法華経」の「方便品」「自我偈」を唱えて回向します。現世と縁を切る「辞親偈」の作法もあります。


昔は檀家にご不幸があると、お寺様は24時間いつでも駆けつけました。「真夜中でも明け方でも連絡を下さい」と伝えていました。死去後なるべく早く枕経を上げないと死者の魂が迷うと思われていたからです。深夜や早朝に喪主様が電話し「お休みなのに申し訳ない」「いや、すぐに行きます」などの会話も聞こえていました。しかし、お寺との関係が薄れてきた現代は、お寺の住職も直ぐにも駆けつけることが少なくなりました。深夜の連絡でも朝や午前中になり、中には「今晩のお通夜と一緒に」と言い出すお坊様も出てきました。


お寺様が枕経の時間を大事にするのは、もう一つ重要な理由があります。駆け付けたお坊様が枕経を終えます。喪家はお坊様にお礼を述べお茶と菓子を出します。その時におもむろにお坊様が口を開きます。
「仏様のお名前ですが」戒名料などとは絶対に言いません。ご家族に故人の姓名と生年月日の他に人柄や趣味、職業や役職そして業績などを聞いていきます。そしておもむろに「そういたしますとやはり院号付いたお名前が必要ですね」あっと言う間に100万円の院号料が決まっていきます。
その他にもお葬式の規模や参列者数を聞き「それでは拙僧だけでは心もとないので副住職と懇意にしている住職も呼びます」これでお布施が数倍に膨れ上がります。
お寺様が枕経の時間を大事にするのは、「お布施」の金額を決める商談の時間でもあるからです。

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