恵方巻を持たされた仏様
スーパーのチラシに恵方巻の宣伝が載るようになると思い出すお葬式があります。お顔の両側に真っ黒で太い巻き寿司を置いたお婆ちゃんは、ゆっくりと火葬炉に入っていきました。恵方巻きの起源については諸説あります。大正時代に大阪の花街で節分に海苔巻きを食べて縁起を担いでいたのが発祥という説とか、大阪寿司組合が恵方を向いて無言で丸かぶりすれば幸運に恵まれると書いたチラシを配布したのが広まったとかです。コンビニが95年に関西で売り出した所、瞬く間に広まり98年には全国エリアで販売するようになりました。ちなみに今年は南南東です。
恵方巻きは福を巻き込むという意味の巻き寿司ですから、七福神にあやかり7種類の具が入った太巻きで作ります。黒くて太い巻き寿司を鬼の金棒に見立て、悪を退治する意味で丸ごと食べると言う説もあります。途中で縁や福が途切れないように、包丁で食べやすい形には切らずにそのまま一本で食べるように言われます。
大家族のなかで元気で過ごしていた、お婆ちゃんの告別式は節分の日に行われました。出棺の時間が来ました。10人程のお孫さん達の手で棺が持ち上げられ霊柩車に向かいます。霊柩車まで運んできた時に棺を担いでいた1人が急に叫びました。
「そうだ、忘れていた。」
茶髪でリーゼントの若者が、私に話しかけてきました。
「葬儀屋さん、私だけ後で火葬場に行きますから、先に行ってください」
「わかりました。火葬時間は決まっていますから、遅れないで来て下さいね」
霊柩車マイクロバスの葬列が斎場に着き、火葬炉の前の焼香も終わりました。まだお孫さんは到着しません。扉のスイッチを押す間際に、大型のバイクが滑り込んできました。
「待たせて、すみません」お孫さんの手に、何か握られています。
「ばあちゃん。恵方巻だ。病院のベッドで『今年も食べたいなー』と言っていた恵方巻を持ってきた、ほら食べながら、極楽に行ってくれよー」
私は、あらためて棺の蓋を開け、黒々と海苔を巻いてある太い巻き寿司をお顔の横に置きました。火葬炉の扉が閉まり、ひとしきり太巻きの雑談が始まりました。
「お婆ちゃんの太巻きは美味かった」
「お腹がすいたというと、太巻きが出てきた。俺の身体は太巻きで大きくなった」
「入学式、遠足、運動会は必ず太巻きだった」
盛り上がっていたお喋りが急に黙りこみました。全員のお顔が火葬炉の扉を凝視しています。どうやら、海苔が焼けた時の、香ばしい臭いを感じたのは、私だけではないようです。