おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

お葬式の簡素化に思う事

お葬式の形がずいぶん変わってきました。最近の葬儀は家族葬や直葬が大部分です。更に無宗教葬と呼ばれる宗教の儀式を一切しないお葬式も増えています。日本人のお葬式に対する考えが極端に変わりました。長年続いてきた葬送の歴史が次々と無くなってきています。理由を上げれば数限りなく出てくるのでしょう。例えば葬儀屋の言いなりやお仕着せのお葬式に疑問を持った喪家様が増えたとか、高価なお布施を要求するお寺に不信感が出たとか、ネットビジネスで安価な葬儀を宣伝する業者が乱立したのも一つだと思います。


しかし、私はお葬式の形が極端に変わり儀式離れが起きた理由は、日本人の社会的な人間関係の変化が一番の原因だと思うのです。家族のあり方が大きく変化した結果、人生最後のイベントであるお葬式のスタイルも格段に変わってしまったのです。


核家族化がすすみ、親子や親戚とのお付き合い、ご近所や町内会などの関係が希薄になってしまいました。そのため昔のように多人数に知らせるお葬式は行われなくなりました。亡くなった方が高齢でも未婚でしたり子供を持たないご夫婦も多くいます。そうなるとお葬式に参列する方が少なくなり、結果簡略化されたお葬式を選択する人が増えています。


お葬式という見栄の張り合いイベントにお金をかける事への疑問が出てきたのも簡素化が進んだ大きな要因です。高額なお布施を請求される戒名、立派な祭壇や生花を多用した飾り付け、お通夜や告別式後の精進料理の大判振る舞いの飲食代などが、本当に必要かと思う人も多くなりました。簡素化したお葬式を考える人が多いのは金銭面が大きいのです。


お葬式の施工にはただでさえ心労が出ます。式中のたくさんの参列者の対応や、その後の香典返しなどで、精神的や金銭的な負担がかかります。参列者の少ない簡素化したお葬式ならそういったことも無くなりますので、お葬式の準備に対する気持ちが楽になります。


一昔前でしたら、簡素化は身寄りの無い人が行うお葬式のイメージでした。今もあまりにも簡素化したお葬式を行うと、親戚やご近所から「しっかりとしたお別れができなかった」「お寺を呼ばないと故人が極楽に行けない」「亡くなった人が可哀想だ」「故人への冒涜だ」反感が出ることもあります。やはりお葬式はまだまだ見栄を張るイベントでもあるのです。


お葬式とは、故人を安らかに送ってあげる大切な儀式でもあります。残された遺族が後悔しないお別れをすることが、故人が安心して旅立てることにつながるのです。あまりに簡素化されたお葬式は、故人の今までの社会的な繋がりを無視する行為と言えるかもしれません。


お葬式には社会的なお別れの場を提供するという使命があります。昔のように出来るだけの親戚に声をかけて親戚一同が一度に会し孫やひ孫まで、すべての一族が参列しました。そこには家の歴史があり親族大集合のイベントになりました。そこは「絆」の文字がありました。


現在の簡素化され参列者の少ないお葬式には、人と人の繋がりの「絆」が見えないのです。そして、そのようなお葬式には一抹の寂しさを感じるのです。


多くの方が人の命は重いと分かっています。その命を看取るお葬式の簡素化と省略化がこらからも進みます。どうしても「弔う」と大事な儀式が軽く見えてしまうのは私だけでしょうか。

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