黄色くなった大事な半紙
棺に入った小柄のおばあちゃんは、微笑んでいました。
喪主をつとめるのは、故人のお孫さんにあたる、白髪頭の初老の老人です。
「葬儀屋さん、この半紙を必ず入れてください。おばあちゃんがとても大事に
していました。なんだか、これを持って行くと、会いたい全員に、
必ず会えると、何回も言っていました。」
そう言った喪主様が、納棺の時に差し出してきたのは、黄色くなってしまった
古びた半紙です。その半紙には、墨痕鮮やかに、
「倶会一処」
と、書かれています。
「くえいっしょ」と、読みます。 佛説阿弥陀経の中の言葉です。
「倶会一処」は「倶に一つの処で会う」と、読み解きます。
倶に(ともに)一つの処(ところ)で会うということは、この世の命が終わり、
極楽浄土に往生した者は、浄土の仏様、菩薩様、そして、ご先祖様をはじめ、
先に往生している皆様に、同じ場所(一処)で出会うことができるという意味です。
墓参りに行きますと「倶会一処」と刻まれた墓石を目にすることがあります。
やはり、先に逝った、会いたい人に、再開したい願いが、この言葉を刻んだのです。
棺に入ったのは、大正8年のお生まれでしたから、もうすぐ100歳になろうかという、
ご長寿のお婆ちゃんでした。
もちろん、お連れ合いは、当の昔に亡くなり、ご友人や、ご近所のお茶のみ仲間も
先に旅立ち、そして、最愛のお子様方も、先に浄土に逝ってしまいました。
長生きをするということは、たくさんの悲しいお別れも経験します。
故人が、この言葉を、大事に思う気持ちが、解かる気がしました。
「極楽で、会いたかった皆さんに会えるという、意味ですね。」
お寺の住職ではないのに、余計なことを説明するのは、差し出がましいかなと、
一瞬思いましたが、不思議そうな顔をされている、御若いかたもいらしたので、
簡単に意味をお話しました。
心から願っていた言葉を書いた大事な半紙を、胸に抱え、仏様は、煙になりました。
今頃は、会いたかった皆様と共に、極楽で楽しんでいることでしょう。