おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

別れはいってらっしゃい

告別式も無事に進行し間もなく出棺のお時間です。祭壇の棺が下ろされ、ふたが開けられ、皆様の手でお別れのお花が入れられています。棺の中で眠っている故人に、家族、親戚、参列者が、お別れの言葉を次々とかけていきます。かたちある身体を見る最後の時間です。棺を覗き込む皆様から、さまざまなお別れの言葉が聞こえてきます。


参列者がかける言葉は「さようなら」「どうぞ安らかに眠ってください」「ご冥福を心から祈っています」「お世話になりました」などです。
家族になると「さようなら」「今まで本当にありがとう」小さなお子様方の「バイバイ」が聞こえてきます。
どちらかを見送る夫婦の間では「さようなら」「愛しています」「幸せでした」「一緒に過ごした日々を忘れません」「先に逝って待っていてください」などになります。


どの別れにも「さようなら」が聞こえてきます。この人とは二度と会うことは無いと考えるので、この言葉が口から出るのです。「さようなら」には永遠の別れの響きがあります。


お別れの言葉が聞こえない場面もありました。人は心から悲しみを覚えると言葉が無くなります。まだ若い母親を亡くした、娘と父はお別れの言葉を一言も発しませんでした。お二人は真っ赤なカーネーションを無言で一つ一つお顔の周りに置いていきます。 泣き声も聞こえません。ですが、お二人の目からポタポタと大きな涙が落ちています。 父と娘の手はお互いにきつく握られていました。22年5月に綴った「父と娘のカーネーション」のブログの一部分です。


素敵なお別れの言葉をかけた家族がいました。その言葉は「いってらっしゃい」です。玄関先で家族がかける挨拶です。キリスト教のお葬式での出来事でした。キリスト教では死は終わりではなく、天国へ召される喜ばしいことと考えます。送り出す遺族には「死は一時的な別れなので、いずれ天国で必ず再会できる」といった希望があります。なので「さようなら」という言葉でお別れをしません。又会えるのですから「先に天国へ、いってらっしゃい、又、少ししたら会いましょう」なのです。


仏教でもご法話の中で「極楽で再会できますよ」と話されるお坊様がおられます。我々も先に大切な人が旅立った「あの世」にいつか行くのです。つまり「また会える」のです。毎朝、会社に行く相手や、学校に行く子供を家から送り出す時の挨拶は「いってらっしゃい」です。誰もがこのときの挨拶を「さようなら」とは言いません。もし「さようなら」を言われたら、聞いた相手は何か不吉な気持ちになると思います。棺の中で眠っている方も、いつか又家族に会いたいと思いながら旅立つのですから、別れの言葉は聞きたくないはずです。


大切な人を亡くした時に、もう二度と会うことは無いと宣言する「さようなら」より、少し間だけの離れ離れになるけど、又、再会できる「いってらっしゃい」の方が悲しみからの立ち直りが格段に早くなるはずです。


お葬式で棺の中の愛する人にかける言葉を「いってらっしゃい」と言ってみませんか?

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