おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

介護施設にある秘密部屋

近くの老人介護施設から、お迎えの連絡が入りました。寝台車を運転して、施設の裏口に到着すると顔見知りの介護士さんが、ご遺体の寝ているお部屋に案内してくれました。大概は4人部屋のベッドの一つに安置してあることが多いのですが、今回は新設された小さな部屋に案内され、一つだけのベッドの上で白い布を顔にかけられた老人が寝ていました。


ベッド脇でストレッチャーに移そうと準備している時に、介護士さんが「このお部屋は通称『看取り部屋』なのよ」と話し始めました。じつは介護施設で看取られることは、滅多にありません。死期の近づいた入居者が危篤になると救急車が呼ばれ病院へ運ばれます。施設内で入居者が死亡してしまうと結構厄介な事になりかねないのです。介護ベッドでは救命のための医療処置がほとんど出来ません。常駐して勤務している医師がいないので死亡確認が出来ず、簡単に死亡診断書も出せないのです。万が一、危篤状態から急変して救急車が間に合わず、施設内で死亡してしまうと、入居者の不審死扱いになります。こうなると警察が来て検視の対象となり、スタッフが一人ずつ事情聴取され大ごとになるのです。


施設側としては急変したら病院へ搬送して、入院から死亡にいたれば一番問題が無いのですが、実はこれが後日クレームの対象にもなるのです。危篤で救急車を呼んで入院させると、死にそうだった高齢者が意外と生き延びるケースが多くあります。運ばれた病院では点滴、気管切開、心臓マッサージなどで簡単には死なせません。息を吹き返し、身体中にチューブを巻かれた状態で生きながらえるのです。当然、家族の医療費負担は大幅に増え、結果「そのままで死なせてくれれば良かったのに」の声がクレームとして届くのです。


そこで考え出されたのが「看取り部屋」です。本人や家族そして施設の医師の了承のもと、危篤になっても救急車を呼ぶことなく、介護スタッフが見守る部屋で最期を迎えてもらうのです。ですが介護施設内で看取りまでケアするには、結構大変な段取りが必要です。可能なら本人の希望に沿った旅立ちを聞き取ります。本人の意思疎通が出来ない時は家族の意向を聞きとります。具体的には酸素吸入や点滴そして気管内挿管や人工呼吸器の装着です。
「延命措置はしなくても良い」と言う確約をとっておかないと、積極的安楽死とみられて裁判沙汰のなりかねないのです。延命は行わないと言っても、看護師が医師と連絡を取りながら看取りを行う準備をします。介護スタッフの全員にも、それなりの覚悟と知識が必要になります、同室の臨終期にある入居者の気持ちに寄り添う能力も大事です。介護はスタッフの入れ替わりも多い職場です。まだまだ急変や危篤時の対応に不安を感じている職員も多くいます。そして看取りがトラウマになり退職してしまう介護士も多いのです。


デイサービスなどの通所介護施設での看取りはまだ不可能です。また入所施設であっても、職員への教育や医療機関との連携が難しいなどの理由で看取りまでは行えない施設も多くあります。ですが病院での終末期の医療が見直され始めている現在では、特別養護老人ホームや有料老人ホームで看取るケースが多くなり始めています。在宅復帰を目的としている老人保健施設でもこれからのターミナルケアと看取りが増えてくると思います。


ご遺体の他に誰もいない部屋で介護士さんが寂しそうにつぶやきました。


「危篤だと連絡しても、すぐに家族が来ない事が多いのよ。電話口で『死んだら連絡してくれ』と言う家族もいるのね。この仏様の家族もこれから来るから、葬儀屋さん、ここで少し待っていてね」

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