家の真宗は西なの東なの
先日浄土真宗のお話しをしました。今回も、もう少しこの浄土真宗の話しをしてみようと思います。お葬式にお寺を呼びたいと希望される喪家様に
「ご檀家はどちらの宗派のお寺様でしょうか」と尋ねます。
「浄土真宗です」との答えが来ると「西ですか?東ですか」と尋ねます。
大概はこう帰ってきます。
「オイ、うちの真宗はどっちだ、西なの、東なの」
浄土真宗には真宗10派と言って細かく分けると10の宗派になります。その中でも最大の2派が浄土真宗本願寺派と真宗大谷派です。本願寺派は「お西」と呼ばれ、大谷派は「お東」とも呼ばれています。これが浄土真宗の西と東の通称です。
両派共に京都に本山があります。本願寺派の本山が西本願寺。大谷派の本山が東本願寺です。京都へ修学旅行に行った方は訪れた記憶があると思います。
西か東の答えが返ってこない時は「お仏壇を拝見します」と伝え、西か東かの宗派探しを始めます。過去ブログで位牌から宗派が解ると書いたので、今回もご先祖様のご位牌で確認すると思われたのでしょうが、違います。位牌を見ても西と東の判別はわかりません。ちなみに浄土真宗の戒名(浄土真宗では法名といいます)は、男性なら「釋」女性なら「釋尼」と入っていますので、浄土真宗の確認だけは位牌で出来ます。
葬儀屋はお仏壇に祀られているご本尊を見ています。浄土真宗の本尊で、違いが解るのです。真ん中の掛け軸の「阿弥陀如来像」の背後には光の矢の後光が伸びています。西と東では後光の射し方が違うのです。西が8本。東は6本です。葬儀屋は、本願寺派(西)は「にしがはち=西が8本」と九九のように覚えています。掛け軸が3本かけてあるときは、西の脇侍は「親鸞聖人」と「蓮如聖人」、東は「十字名号」と「九字名号」が掛かっています。
本願寺派と大谷派が別れたのは戦国時代から江戸時代にかけての政治的な問題が原因です。織田信長が一向一揆の拠点であった本願寺を攻めた戦争で、境内では信長と和睦するか、徹底的に戦うかで議論が分かれました。この2つの考えによって本願寺内が2派に分かれてしまいました。その後、家康の時代には家督の相続争いもあり、結果的に本願寺は東と西に完全に分かれてしまいました。お寺の偉いお坊さんでも、意見の違いから争いごとになり、最後はバラバラになるのです。
葬儀中のお坊様を見ていても、浄土真宗の西と東の違いが分かります。西のお坊様は南無阿弥陀仏を「なもあみだぶつ」と読みますし、東のお坊様は「なむあみだぶつ」と唱えます。焼香の仕方も抹香を指でつまむ回数が西では1回、東では2回です。
読む御経の呼称も、西は「御文章」と言い、東は「御文」と話します。
数ある日本の仏教宗派の中で最も信仰者が多いのが浄土真宗です。お葬式の呼ばれるお寺の数も一番ですから、今まで参列したお葬式で、浄土真宗に出会っているはずです。皆様のお家も、浄土真宗のお寺でお葬式をあげた方も多いはずです。
ちょっと、家の仏壇を覗いて見ようと思われた方もおられるでしょう。良い機会ですから、お水を取り替えて仏壇の上に置いてある雑多な品を断捨離してくださいね。