おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

私の葬式は貴方がやって

電話が鳴りました。受話器から聞こえてきた故人の名前に、心臓がドクンと鳴りました。ついに来たかと言う思いと、全力で送ってあげようという覚悟が織り交じる感情が出てきました。あの時耳元で「私のお葬式は貴方がやってね」と囁かれた声が、よみがえりました。


配偶者を無事に送り出した喪主様から「私の時も頼むね」と言われることがあります。口が裂けても「はい、お待ちしています」とは言えない世界です。その人が死ぬのを待っているような答えはタブーです。「その時に私は引退していますから」などと、はぐらかします。


終活ブームのこの頃、葬儀屋に自分の葬儀の相談をする人は増えてきています。事前予約までする方もおられますが、担当スタッフの指名までは不可能です。又、事前に予約まで済ませておいても、突然の死去に慌てた家族が病院からの出入り業者の紹介を受け、他の葬儀屋がお葬式を行なうケースも多く、せっかくの予約が無駄になることもあります。


本人が葬儀屋と担当者を指名して、なおかつ入念な準備を行い、予定通り旅立っていったのは、この故人が初めてでした。この方との最初の出会は半年ほど前でした。ホスピスから「当院の患者さんの相談を受けて欲しい」と言われ、葬儀相談か、うまくいけば葬儀予約までこぎつけるかもと言うくらいの軽い気持ちで出かけました。


車イスの可愛いお婆ちゃんから「私のお葬式をお願いしたいの」と切り出されました。身寄りのいないお一人様だと紹介されました。お寺はいらない。火葬するだけで良い。そんな話から始まりました。大きい額の写真はいらない。だけど火葬している時にどんな人が焼かれているかを知らせるために、キャビネ版の写真だけ作りたい。用意していた写真データを預かりました。白装束に着替えさせて欲しい。棺の中には動けるときに趣味だったフラダンスの衣装だけを入れて欲しい。極楽でもう一度踊りたいから持っていくの。豪華な花はいらないけど、何もないと寂しいからカサブランカの花束を一つだけ作って入れて欲しい。一通り決まり別れる時に「やっと安心したわ。その時はよろしくね」で別れました。翌日見積もり額の金額が振り込まれていました。なぜか1万円が追加されていました。


亡骸を引き取りました。安心したような綺麗なお顔でした。「お疲れ様でした。お約束通りつとめさせていただきます」と挨拶し納棺に取り掛かりました。珍しく手が震えました。新人の時以来の緊張をしています。なぜ手が震えたか理由を考えました。どのような葬儀であれ、失敗は許されないのですが、いつもなら側に注文主の遺族がいます。万が一ミスをしても遺族に謝ることが出来ます。ですがこの納棺は失敗しても文句言う人がいないと同時に、詫びる相手もいないのです。万が一の粗相の時に謝罪する相手がこの世に居ないという場面は、絶対にミスが許されない作業になるのに気がつき、緊張で手が震えたのです。


火葬炉の前に、ホスピスのから来た職員一人と私だけが立ちました。小さな骨壺と小さな写真は職員が持ち帰りました。初七日迄、ホスピスのホールに飾り、その後、永代供養を契約してあるお寺の合祀墓に入れると話してくれました。


納骨の時間と場所を教えてもらい、余分に頂いた1万円で、故人の好きなカサブランカで 大きい花束を作りました。お墓の前で手を合わせ、そっと声をかけました。


「一期一会のご縁でしたが、家族を送ったような寂しさを感じています。貴女との出会いは記憶に残る時間になりました。49日と一周忌に又来ます。フラを楽しんでください」

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