おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

亡くなり方を考えてみる

昨年11月にこのブログで「人の死に方には二通りの方法があります」と質問したのを覚えておられますか?二通りの死に方とは書類上の違いですと書き込みました。一つは死亡診断書、これは病院で最期を迎えた時にお医者様が書いてくれます。もう一つは死体検案書、こちらは火事、地震、津波、土砂崩れなどの災害事故死、ストーカーや殺人犯に殺された場合の事件死、誰にも看取られず腐っていく孤独死、そして結構多い自殺死など医師が死亡診断書を書けない死に方で、検視の対象となるご遺体です。


ほとんどの方は病気や加齢で身体が動かなくなり、最終的に病院のベッドで息を引き取るのですが、今回はその亡くなり方について少し考えてみます。自力では動けなくなり、もう手の尽くしようが無く確実に死に向かっている時にどのような亡くなり方を望みますか?


最期を迎えた時に病院にいると簡単には死ねません。お医者様は懸命に延命治療を行います。言い方は良くないのですが病院を儲けさせる目的もあります。当然、家族の金銭的負担も多くなります。喉に穴を開けた人工呼吸器や、お腹に穴を開け流動食を入れる胃ろう、皮下がブヨブヨになるまでの点滴などで、息を引き取るまでベッドの上で苦しむのです。


1950年代までは、ほとんどの方が自宅で最期を迎えていました。食べ物が取れなくなり、水が飲めなくなり、枯れ木の様に衰えていき、穏やかな最期を迎えることが出来ました。しかし自宅で亡くなる人と病院で亡くなる人の割合が逆転していくと、医学の発展とさまざまな延命治療が試され、その結果、眠るように安らかに亡くなる人がいなくなりました。病院では死なせないために様々な治療が人体実験のように施されるのです。


もし貴方が治療による回復を見込めず、死への進行が止められない状態になったと仮定します。その時現状を受け入れて延命処置を断り、自然経過の死を迎える方法があります。これを尊厳死と言います。尊厳死とは医療器具による過剰な延命措置をせず自然に死に向かっていくことです。名称の通り人としての尊厳を保ちながら枯れていく亡くなり方です。


ですが、このような尊厳死が日本ではとても難しいのです。理由は内容によっては安楽死となってしまうからです。安楽死には積極的安楽死、消極的安楽死、自殺幇助などがあります。安楽死の定義は、自分自身で実行できない状態において他人が関与して死をもたらすことです。たとえば植物状態の患者に、致死量の鎮痛剤を投与するのは積極的安楽死で、延命治療をせずに自然に死を迎えるのが消極的安楽死です。自殺幇助とは処方された薬で命を断つことです。尊厳死と安楽死の境界はグレーなのです。日本では安楽死は法的と倫理的に許されていません。今までの安楽死事件では関与した医師にすべて有罪判決が出ており、安楽死が認められた判例はありません。当然トラブルを嫌う病院や医者は尊厳死を行いません。


日本以外の国々は尊厳死と呼ばれる安楽死を認めています。積極的安楽死や医師による自殺幇助についても法的に容認されている国もあります。尊厳死は自然死と捉える国もあります。
不治の病になった時、治すための治療は行なわず、苦痛を和らげるだけの緩和ケアを施した上での亡くなり方が尊厳死です。この頃やっと生前の意思(リビング・ウィル)と言う言葉が出始めましたが、まだまだ日本では尊厳死については法律も医療も追いついていません。


もし病に倒れ、治る見込みがないとわかったときに、意思を伝えられる状態の内に、延命治療を続けるのかどうかを家族や医療関係者とじっくり話し合っておくことが大切です。

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