おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

今年の締めのご挨拶です

このブログをご覧の皆様方、いつも開いて頂きありがとうございます。始めた時は葬儀屋の書くブログなど、縁起でもないお葬式の話ばかりだから、誰も興味が無いだろうと思っていました。それでも終活ブームのこの頃ですから、どなたかの参考になれば良いし、お葬式を考えるお手伝いになるかもと思い直し、書き始めました。


Niceのスタンプやアクセス履歴を見ると、多数の方に閲覧していただき、中には何回も訪れてくれる方々や、暖かいコメントを記入して頂いた方々もおられて、心より感謝いたしております。


この仕事をしていると改めて感じたことがあります。人の死は突然やって来ます。そして皆様、慌てふためきお葬式の準備を始めます。学者の説では死を悼み、追悼としてお葬式というセレモニーを執り行うのは動物の中で人間だけだそうです。


お葬式に参列した経験は、どなたも1回以上はあるのですが、実際に喪主として、葬儀屋との打ち合わせをして、執り行った経験をされた方はほとんどおられません。ネットで探しだし、急遽呼ばれた葬儀屋は、なんでも訳知り顔で説明し始めます。言われるとおりにハイハイと返事をしたら、後で高額の請求が来て、これは究極の衝動買いだったと悔やむ人も多いのです。


近頃はお金を出したくないという理由だけで、どんどん省略する方向に向っています。直葬と呼ばれる火葬炉に入れお骨にするだけで良い、というお葬式も増えてきています。当然、読経や引導などのお別れの儀式は一切無く、家族のお別れの時間も充分に取れず、言い換えて見れば、まるでゴミの償却と同様な印象さえ受けます。


コロナ禍もあり様々な事情もありました。ほとんどお葬式が家族だけで送ると言う家族葬になりました。結果的に故人と関係の深い親族の皆様にも連絡をせず内密で行ないます。ましてやご友人やご近所も隠して行うのが、風潮になりつつあります。


葬儀を一つのイベントとして考えるなら、送る方の考えで簡略化されたスタイルがあっても良いのでしょうが、個人的には疑問を持っています。仏様が寿命まで生きてきた時間の中には、沢山の人々との「ふれあい」があったはずです。誰にも連絡しないという寂しいお葬式には、その仏様が生きてきた長い時間を、送る側が否定してしまうように感じています。


素敵なお葬式で送られた故人には、その人の幸せな人生が見えてきます。お金さえあれば幸せな一生を送れるし、立派なお葬式を出せるとお考えかもしれません。だが生活保護の人の葬儀が、介護スタッフ全員の涙で送り出した現場もありました。


自分の人生を幸せにする努力をされた方に、最後のご褒美として、素敵なお葬式がやって来るように感じています。


閲覧の皆様どうも有難うございました。このブログでお会いできた皆様に、まもなく迎える新しい年も、ご多幸とご健勝が来ることを心より願っております。

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