おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

火葬式では成仏出来ない

ほとんどのお葬式が家族葬になりました。しかし最初は家族だけの参列と考えていても、親戚の皆様に連絡すると「何が何でもお葬式だけは駆けつける」という考え方の高齢者も多くいます。結局親戚一同や仕事仲間、趣味仲間ご近所などが増えてきて、最終的に通常のお葬式の形をとらざるを得ないケースもまだ多くあります。


お葬式は見栄の世界ですから、参列の方が増えると、それなりにお寺を呼んでしっかりと儀式を行い、祭壇も大きくして、お花で飾り付けをしてと、大掛かりになってきます。本当に家族だけで送りたいと思うには、連絡をする時に「故人の遺志で」などと付け加えて、他人の参列はご遠慮くださいと言い切る覚悟も必要です。


家族葬でもほとんどの喪家様は、お寺を呼び読経の儀式を行います。通夜式、告別式と行い、しっかりお別れの時間をとり、死者の極楽往生を願うのです。ところが家族葬と共に増えてきたお葬式があります。密葬と呼んだり、直送と呼んだり、火葬式とも言ったりしますが、お寺の儀式を一切行わずに、焼くだけの施工です。


お寺を呼ばず、御経も無く祭壇も無く、冷蔵庫から火葬炉へ一直線という直葬をお葬式と呼ぶにはどうしても疑問が残ります。大切に育ててくれた親や祖父母を、そのような送り方をしてしまい、後で後悔しないのかと思うのです。


本日の火葬炉で予約してある喪主様から朝方に電話がありました。
「火葬場でムニャムニャと御経をあげてくれ」
当日になってどうやらお寺を呼ばないお葬式に不安を感じ始め、形ばかりの御経を火葬炉に入れる前に挙げて欲しいと言う注文です。


「これから急にお寺様にお願いするのは、少し難しいかもしれません」
「どんな坊主でも良いから、来てもらって、ムニャムニャとしてくれ」


火葬炉前で一回焼香の間の読経は許されていますが、長い御経を唱えることは火葬場職員が許可しません。炉に点火する時間は決まっていますし、次の棺桶に入った死者と参列者が待っています。やむなく懇意にしているお坊様に電話して、急遽火葬場まで来てもらうことにしました。実はこういうケースは過去にもありました。


前回、終わってからそのお坊様が私に「これで仏様には良いのか疑問ですな」と嘆かれました。お葬式で故人に御経を読むのはお釈迦様の弟子になる儀式を行っているのです。亡くなって直ぐに枕経で成仏を願い、通夜式で、おカミソリをあてて出家させ戒名を与えます。読経で現世を離れる覚悟の引導を渡し、葬儀式で仏様の資格を認め極楽往生を願い、初七日法要で極楽への道を指し示すのです。火葬炉前の短時間の御経だけでは極楽往生は出来ません。ましてあの世に行かれて「私は仏様になる修行をしてきました」とは、どうしても言えないだろうと話されました。 


それでも無理を承知で炉前勤行をお願いしました。終わると同時に喪主が言い放ちました。「戒名は何をつけたのか」さすがに、無理な相談です。説明しようと口を開きかけたとき、お寺様が諭されるように言いました。


「戒名が欲しいなら、お骨になってからでもいいから、お寺の本堂にいらして、しっかりと故人と一緒に仏様の修行をおこないましょう」

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