おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

三途の川を渡れませんよ

あなたは亡くなりました。ふと気がつくとひとりぼっちで、真っ暗な所にいます。これより死出の旅への出発です。極楽の入り口まで約800里。3200キロの旅路を7日間で歩くのですから、1日に約460キロを歩かなければいけません。最初の難所が死出の山と言う険しい山道です。真っ暗な山道をひとりで歩いて行きます。やっとの思いで峠を超えるとその先に見えてきた大河が三途の川です。


現世とあの世の境目にあり死後7日目に渡るとされている川です。死後の世界は、川で隔てられていると言う考え方はオリエント神話や古代ギリシャ神話でも出てきます。この世とあの世が大きな川で分けられているという概念は、世界的にあるのです。川幅が400キロ以上もある、向こう岸の見えない大河です。東京と神戸間くらいの幅があります。3通りの渡る方法があるので三途の川と呼ばれます。


手前の岸には幼い子供たちが泣きながら石を積んでいます。賽(さい)の河原です。ここにいるのは、親よりも先に死んだ子供達です。親を悲しませた贖罪のため子供達は、河原の石を積んで塔を作る起塔の行を修めなければなりません。ところが少し石が積み上がると、鬼がやってきて金棒で壊してしまいます。積み上げては崩されての繰り返しで永遠に石を積み続けるのです。かわいそうですが子供達の心配をしている余裕はありません。


川岸に大きな樹があります。衣領樹(えりょうじゅ)です。大樹の前には脱衣婆(だつえば)というお婆さんと、懸衣翁(けんねおう)というお爺さんがいます。ここで川の渡り賃として六文銭を差し出さなければいけません。納棺の時に六文銭を持たせるのはこのためです。この二人は死者の着ていた衣服をはぎとり木の枝にかけます。人間界の罪の重さによって枝がしなります。そして川の渡り方を指示されます。


三途と呼ばれるのは、人間界での罪の深さによって渡る場所が三か所あるからです。老人達がいる中流には橋が架かっています。現世で一切罪を犯さず、戒律を守り、得をつんで修行した善人は橋を渡れます。ところがこの渡り方を許される死者は、ほとんどいません。


橋の上流を浅水瀬(せんすいせ)と言います。大分部の死者はここを渡り始めます。ひざ下くらいの深さの流れですが、途中に流れの早い場所や深みもあり、向こう岸に着くには結構体力を使うようです。


橋の下流は強深瀬(ごうしんせ)といわれる激流です。罪を犯した者はここを渡るように言われます。川底は深く頭まで潜ります。息継ぎのために水面に顔を出すと鬼から矢を射られます。水の中は大きな石が流れてきて、身体に当たり粉々になり、川の底には毒蛇がいて喰われます。 死んでもすぐに生き返って400キロを泳ぎ続けます。


三途の川を渡ってしまうと人間界には戻れません。向こう岸に着いても死出の旅路はまだまだ続きます。自分は激流を渡るようになりそうだと思われた貴方は今日からスイミングの練習を始めてください。この川を無事に渡りきるには、どうも体力がいるようです。私はこれからスポーツジムに行ってトレーニングを開始します。

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