おくりびとの日記

数多くの仏様を成仏させた「おくりびと」が、お葬式の出会いを綴ります。終活の参考になれば幸いです。

来世も夫婦で暮らしたい

電話が鳴りました。故人の苗字と住所ですぐに気がつきました。2ヶ月前に奥様を亡くし落胆していた喪主様でした。出棺前の棺桶に取りすがり
「向こうで待っていてくれよ。おれもすぐに行くから。来世も夫婦で暮らそうな」
と、囁いていた優しいお顔を思い出しました。


お迎えの寝台車を走らせました。やつれてはいましたが、ホッとしているようなお顔のご遺体でした。後部のストレッチャーに、そっと話しかけました。
「奥様にお会いできましたか、極楽でもご夫婦ですか」


葬儀の仕事を続けていると同じ家のご夫婦を送る事が結構有ります。今回のように、続けて亡くなることは滅多にありませんが、数年後に同じ家のお葬式が続くのです。


それも殆んどが、奥様を見送ったご主人が後を追うように旅立つケースです。男は弱い生き者です。奥さんに先立たれますと、残された夫はうろたえ、家のどこになにがあるかが解からなくなり、何をしたら良いのかが、考えられなくなります。


かつては「夫が亡くなると、妻は元気になる」と言われていました。しかし夫の死亡年齢が高齢になる現在では、死別後に妻が元気で暮らせる期間がとても短くなりました。高齢女性のほとんどは夫と死別して一人暮らしになると、毎日の料理をしなくなるようです。煮物を作ったら何日もそれを食べ続けるとか、スーパーの総菜しか買わなくなるとか、コンビニの惣菜パンなどで済ませることが増えてきます。独居女性の特徴は、食事を十分に摂取しないセルフネグレクトに陥り、結果低栄養で寿命を縮めるのです。独居は当然コミュニケーション不足で認知症も進みます。


「夫婦」とは他人同士の男と女が、なぜか一緒になり「妻」と「夫」という名前に変わります。そして最後は必ず相手を見送る立場になるのです。お互いを愛し、来世でも一緒になりたい願いう夫婦で居たいのですが、なかなか難しいのが現実です。


葬儀屋は、配偶者との死別を目の当たりにするのが宿命です。遺された者の悲しみや苦悩そして安堵など、夫婦の数だけ異なる別れがあります。


愛する者の別れに号泣する現場は少なくなり、配偶者の介護の生活に疲れ「やれやれ、やっと死んでくれた。ホッとした」
などの言葉も聞こえる別れの場も増えてきています。


夫婦の愛情は死後も続き、来世もまた一緒に暮らせるなどと浮かれている皆様方、本当に愛されているか、生まれ変わっても出会えるか、今の生活をもう一度見直しませんか。


葬儀が無事に済み疲れた体を布団に入れる前に妻に尋ねようと思います。


「来世でも、夫婦ですかね?」


返事が怖くて、まだ聞けません。

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